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10月24日のまにら新聞から

「有罪だったら死のうと思った」 「冤罪」で5年拘禁の邦人釈放

[ 2843字|2024.10.24|社会 (society) ]

同居パートナーの娘を強姦したという罪状で5年間未決拘禁された邦人男性に無罪判決。男性がまにら新聞のインタビューに応じた

ズニエガ弁護士(右)と金丸さん(仮名)=ズニエガ弁護士提供

 5年前に強姦(ごうかん)容疑で突然逮捕され、5年間拘置所で保釈なしの未決拘禁を受けた邦人男性(75)が16日、無罪判決を受け5年ぶりに釈放された。その弁護を担当し、勝訴を勝ち取ったのは、昨年、日本政府から旭日単光章を受章しているホスエシム・ズニエガ弁護士だ。「免罪」との5年間の戦いについて、2人はまにら新聞のインタビューに応じた。

 ▽突然の逮捕

 「2019年の10月にバケーションでフィリピンに滞在しているとき、突然警察がやってきて『レイプ』『レイプ』と言われ、逮捕された」。首都圏マカティ市にあるズニエガ弁護士の事務所でこう語り始めたのは、その2日前に釈放されたばかりの金丸功さん(仮名)だ。着せられた罪状とは対照的に、その口調は穏やかで、どこか品を感じさせる。妻に先立たれた金丸さんは、日本でエンタテイナーをしていた比人女性と2006年ごろから付き合いはじめ、数年の交際を経て相手の連れ子と共に同居する関係になった。

 「未成年のころから性的虐待を受けており、2015年にはフィリピンの住居内でわいせつ行為を受け、2017年8月には3回にわたって強姦された」。こう告発する元パートナーの娘からの被害届は、金丸さんの知らないところで出されていた。「金丸さんが日本にいる間にフィリピンの住居に召喚状が送られ、それが無視されたということで、検察レベルまでどんどん手続きが進んでしまった。事件性があると判断され、逮捕状を執行、起訴するだけになっていた」(ズニエガ弁護士)。逮捕の日、警察を呼んだのは直前まで一緒に過ごしていた元パートナーだった。

 逮捕後、金丸さんはマンダルーヨン警察の留置場に2週間勾留された。「警察では自分への取り調べすらなかった。本当に不思議。ふつう両方の言い分を聞くんじゃないだろうか」と振り返る金丸さん。大使館に電話させてほしいとの訴えも認められなかった。大使館とやっと連絡が取れたのはマンダルーヨン拘置所に移送される2~3日前。そこで領事から、フィリピンの弁護士の中でも数少ない日本語のできる弁護士である、ズニエガ氏を紹介してもらった。

 ▽「死んだほうが楽」

 フィリピンでは未決拘禁囚を保釈する制度があるが、「強姦罪での勾留は原則保釈が認められない」(ズニエガ弁護士)。留置場の後のマンダルーヨン市の拘置所は110人の大部屋。ここで1年半過ごし、さらにタギッグ市ビクータンの拘置所に移送され3年半拘禁された。

 5年間の収容されるだけの日々。一番辛かったことを尋ねると、「収容者から暴力を振るわれたことはなかったが、言葉が分からず、話し相手がいなかったのが辛かった」。ビクータンの拘置所では日本人の収容者がいると聞き、房を変えてもらった。「一人はやくざの人で、もう一人は元自衛官で昔潜水艦に乗っていた方。良くしていただいたが、彼らは1年内に釈放されてしまった」。

 だが、金丸さんを最も絶望の淵に追いやったのは、理由もわからないまま身に覚えのない罪状で拘禁されているという事実だ。「これはズニエガ先生にも言ってなかったが、最初の留置場に収容されたとき、死のうと思った。天井にコードがあるのを見て、『これで首をつるには細すぎるかな』とそういうことばかり考えた」。それは判決の前でも変わらない。「有罪判決が出たら、新しいカミソリを買って手首を切って死のうと決めていた。その方が楽だと思って」。

 比の司法は2件の刑事裁判で両方無罪の判断を下した。勝訴の決め手となったのは、原告の証言の矛盾だ。

 2015年の「わいせつ事件」は、金丸さんの入国記録から、その年には金丸さんがそもそもフィリピンに来ていないことが分かった。2017年の「強姦事件」は、金丸さんの数日間の比滞在記録と、親族と共に一緒にルソン北部のビガン市などを旅行した日程と突き合わせると、金丸さんが原告と2人きりになって暴行することが不可能だと立証された。原告側が用意した親族の証言によって、逆に金丸さんが犯行を行う時間がないことが証明された形だった。

 ▽誰にもある冤罪リスク

 ズニエガ弁護士は、「反対尋問で原告の証言の矛盾を見つけ出すことができなければ、有罪になっていたかもしれません」と裁判を振り返る。同弁護士は、「金丸さんはパートナーの娘さんと同じ家に滞在していたが、同じ家にいるということは、こうしたリスクがあるということを分かってほしい」と述べ、誰の身にも起こり得る冤罪のリスクを説明した。

 元パートナーの娘とは何の問題も思い当たらないという金丸さん。疑問として残るのは、どうして元パートナーとその娘がこうした告発を行ったかだ。「娘さんより、その母親であるパートナーの方が金丸さんに怒りを抱いている様子だった」というズニエガ弁護士。

 金丸さんが思い当たるのは、元パートナーから2015年に別れ話を持ちかけられ、半分お金を出して購入した家から「出ていって」と詰め寄られた記憶だ。「あのときは全く取り合わなかったけど、今思えば、あれから彼女は私に対する態度が変わって、元に戻ることはなかった」という金丸さん。

 元パートナーの女性は、収容される金丸さんが「どれだけ苦しんでいるか確認するため」に拘置所に訪問することがあったという。原告とその母親(元パートナー)の希望は、「賠償金はいらないから、(金丸さんを)強姦罪で刑務所に送ってほしい」というものだった。何回か元パートナーの女性と話す機会があったズニエガ弁護士は、その際に「あなたがどういう理由で金丸さんに怒りを持っているのかは知りませんが、このように裁判を利用するのは、裁判を軽くみているのではないですか」と伝えた。

 コロナ禍、裁判官の定年と交代が重なったことで、裁判は延びに延びた。また、原告側が証言者のリストの変更を求め、その可否を巡って控訴裁まで争った。結局、原告側の要求は認められなかった。

 「冤罪」で5年間自由を奪われた金丸さん。5年の時間と自由を失っただけでなく、裁判費用も負担しなくてはならない。失われた5年を振り返ってどう思うか、原告側に言いたいことは何か。そう尋ねると金丸さんは「本当に、こういう冤罪事件が二度と起きないでほしいというだけだよね」と静かに語った。

 一方、これからの生活については、「日本に帰って、大きくなった4人の孫に会いたい。おじいちゃんが拘置所に入ってたなんて知らなければいいけど」と目を細めた。

 金丸さんはこのほかにも、5年の拘禁で無査証滞在となった分の延長手数料の支払い義務も負う。支払わなければ、ブラックリストに入れられる。「もう一度フィリピンに来たいか」との質問には、「いや、もう十分」と金丸さん。各種費用の立て替えも含め、5年間サポートし続けたズニエガ弁護士は、金丸さんを「長い旅でしたね」といたわった。 (竹下友章)

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