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8月15日のまにら新聞から

「女性の尊厳蹂躙二度と許すな」 元慰安婦遺族らが抗議集会

[ 2135字|2024.8.15|社会 (society) ]

元慰安婦の遺族らが、マニラ市の慰安婦像痕で抗議集会に参加。戦争への反対と元慰安婦への正義を訴えた

元慰安婦の遺影を持って抗議集会に参加した遺族ら=14日首都圏マニラ市ロハス通りで竹下友章撮影

 日本のポツダム宣言受諾から79年を迎えた14日、大戦下で日本軍による性暴力を受けた被害者の遺族らが、元慰安婦の支援団体「リラ・ピリピーナ」および女性政党ガブリエラが主催する抗議集会に参加した。参加者たちは、2018年に撤去された慰安婦像がかつて設置されていたマニラ市ロハス通りの一角で、元慰安婦らの遺影を掲げながら、「フィリピン慰安婦に正義を」「二度と女性の尊厳の蹂躙(じゅうりん)を許すな」と訴えた。

 リラ・ピリピーナのシャロン事務局長によると、生存している元慰安婦(同団体所属)の女性らは10人。最年少は94歳、最年長は97歳という。集会には、元慰安婦の女性2人が参加する予定だったが、体調不良のため欠席。元慰安婦の娘ら遺族5人が参加し、元慰安婦の遺影を掲げながら戦争反対の声を上げた。

 参加者らは、「戦争への道につながる」として、先月比日両政府間で署名された部隊間協力円滑化協定(RAA)の承認拒否、2025年予算案の軍事予算増加への反対、比米間の訪問軍地位協定(VFA)の破棄などを訴え、シュプレヒコールを上げた。

 ▽最後まで正義を求めた母

 抗議集会には、元慰安婦、故パウラ・アティリョさんの3女であるメイアン・アティリョさん(53)も母の遺影を持って参加。戦時中の記憶をほとんど語らなかったという母が、元慰安婦だったと知ったのは2007年。母が抗議活動に参加しているのをテレビで見たときだ。

 母が戦時下の性暴力被害者だったと知った時は、ショックを受けた。テレビで見たことを母に打ち明けると、「母はそれからリラ・ピリピーナの事務所に連れて行ってくれた。母はそこで自分の記憶を書きつづっていた」。

 母の話だと、母が12歳くらいのころ日本軍が母が住む地域に進軍し、「とても怖い思いをした」。「日本兵は暴力的で、母に対し恐ろしいことをした。殺されはしなかったが、性的暴行を受けたと聞いた」。

 母は正義を求めながら思いを果たせず、2013年に82歳で亡くなった。「戦時性被害者の娘として、次の世代に新たな慰安婦が生まれてほしくない。戦争は二度と起こらないでほしい」と思いを語ったアティリョさん。「一度フィリピンを植民地にした日本の兵隊には来てほしくない」とRAAへの率直な拒否感を口にした。

 

 ▽勧告の完全な実施を

 シャロン事務局長は、元慰安婦の現状について「高齢化が進み、何人かは寝たきりになっている。多くの元慰安婦女性は貧困層・労働階級出身で、十分な高齢者向けケアを受けられない。多くは戦後もフォーマル部門で就業できず、旅行さえしたことがなく、夫に元慰安婦だと知られ結婚生活が破綻した人もいる」とし、当事者が戦後も長らく辛酸を舐め続けてきたことを説明した。

 昨年3月の国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)による勧告を受け、マルコス大統領が5月に指示した元慰安婦への救済措置については、「同委員会は元慰安婦への補償のための財団を設置するよう勧告したが、いま政府が行っていることは、社会福祉開発省による既存のプログラムを適用しただけ。これは一般的福祉事業であって(元慰安婦向けの)特別の措置ではない」と指摘。「これが『元慰安婦が既に支援を受けている』と主張するための口実に使われている」とし「これは政府によるごまかしだ」と述べた。

 リサ・ホンティベロス上院議員が上院でCEDAW勧告の完全な実施を求める動きを進めていることについては、「われわれもCEDAW勧告に取り組むための作業部会設置を目指す上院公聴会に参加し、下院では補償のための財団設置を求めてロビー活動を展開している」と明らかにし、「補償財団設置は予算審議に含まれるため、両院協議会後のすり合わせ案に反映されるよう、また来週から議会に戻り、ロビー活動を続ける」と述べた。

 「仮に財団が設置された場合、日本政府が拠出できるようなものになるか」との質問には、「これは、日本政府はすべきことととは異なる」と否定。「日本の国民でも、日本企業でもなく、日本国として公式謝罪を行い、国家賠償を行うべきだ」とした。

 ▽最後の像も撤去

 慰安婦像はこれまで三つ設置された。そのうち、2017年12月に比国家歴史委員会などの承認のもと比人彫刻家ジョナス・ロセス氏が製作し、マニラ市に設置された慰安婦像「メモラーレ(記憶)」は、18年4月に公共事業を理由に撤去。その後、同像はバクララン教会への再設置される計画だったが、設置前に盗まれている。また、ラグナ州サンベドロ市の高齢者施設では、韓国系団体の支援で18年末に「少女像」が設置されたが、設置後2日で撤去。リラ・ピリピーナの創設に携わった女性活動家の故ネリア・サンチョ氏によってボラカイ島対岸のパナイ島マライ町の私有地に2019年に設置された慰安婦像が、最後の慰安婦像として知られている。

 最後の慰安婦像の現状についてシャロン氏は、「一昨年サンチョ氏が亡くなったことで、ボラカイの近くの慰安婦像も撤去されようとしている。今はどこかに保管されているらしいが、正確な場所は把握していない」と述べた。(竹下友章)

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