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6月25日のまにら新聞から

比日研究者が歴史に光 第29回比研究会全国フォーラム

[ 2489字|2024.6.25|社会 (society) ]

第29回フィリピン研究会フォーラムで皇太子訪問の政治外交的課題、大東亜会議の意義の再考など報告

フィリピン大のクリストファー・エスケホ准教授=22日、竹下友章撮影

 都留文科大学(山梨県)で22~23日にかけ、フィリピン研究の専門家が中心に集まる第29回フィリピン研究全国フォーラムが開催された。今年は例年を上回る40人以上の研究者・有識者が登壇し、大半が英語発表。より国際色が強まった。

 その中で、62年の皇太子(現上皇后)の比訪問にまつわる政治・外交的背景や、大戦中に「大東亜共栄圏」作りを目指す中開かれた大東亜会議の史的位置づけの再考、戦時中に日本軍から性暴力を受けた女性たちの問題など、両国にまたがるセンシティブだが重要な歴史的テーマに対し比日の研究者が正面から光を当て、活発な議論を交わした。

 ▽皇太子訪問の政治的文脈

 フィリピン大のクリストファー・エスケホ准教授は、1962年の明仁皇太子(現上皇后)のフィリピン訪問の、フィリピン外交からみた意義について報告。

 当時のマカパガル大統領について、米国と同じ7月4日だった独立記念日をアギナルド初代大統領の独立宣言日である6月12日に変更したほか、米ドルとの固定相場制を変動相場制に変えるなど、前任のガルシア大統領と同様に、「『脱植民地』に向け重点を米国からアジアにシフトしようと取り組む人物だった」と説明。

 そうした中、62年の皇太子訪問に先立つ文脈として、60年に当時のアイゼンハワー米大統領、61年に「日本支配からの解放者」マッカーサー元帥が来比していた事実に着目。「この2人の来比は、比の忠誠心の確認や、比を引き続き米国に引き付ける政治的意図があったようにみえる」と指摘した。その上で、「戦争の記憶がなお生々しいなか、皇太子訪日前に米国要人2人が立て続けに訪問していたことは、国民世論を考えると(訪問の準備を進める)明仁親王、マカパガル大統領の双方にとってチャレンジだったはずだ」とした。

 皇太子夫妻の訪問について当時の報道を引用し「特に美智子妃が当時の世界的ファッションアイコンだったジャクリーン・ケネディ米大統領夫人と比較され、地元紙をとりこにした」と紹介。「日本から見たら皇太子夫妻の訪問の意味は、国交正常化して間もない2国関係を強化し、反日感情を和らげ、対日イメージの回復をもたらした」。その一方で「比からみれば、米国いいなりの外交からの離脱を目指す、マカパガル大統領のアジア重視の取り組みを強化するものだった」との見方を示した。

 さらに天皇として行った2016年の訪問にも触れ、「皇太子時代、天皇時代のフィリピン訪問は両方とも極めて特別な契機となっており、その後に比日間で重要協定の締結が続くなど、両国関係の深化に象徴的な意味をなしている」とした。

 また、「国交正常化70周年を迎える2026年に合わせ、マルコス大統領から招待を受けている今上天皇の比訪問が実現する可能性があるが、それをどう見るか」との会場からの質問に、「天皇や皇太子の訪問は、首相の訪問とは異なり極めてまれ。これからの比日関係の発展にとって非常に大きな含意を持つことになるだろう」と指摘した。

 ▽ラウレルと重光の共通点

 比現代史の第一人者・寺見元恵博士は1943年の大東亜会議について報告。日本の影響下にある外国代表を招いたことで、戦後の歴史では「傀儡(かいらい)政権を集めた茶番劇」との連合国側に沿った認識がなされているが、同博士は「西洋中心の世界秩序にアジアが連帯して対抗する汎アジア主義の出会いの場でもあった」という別の面の存在を指摘した。

 ラウレル大統領は大東亜共栄圏構想が出る以前の1920年代から、アジア諸国民が団結し西欧中心主義と人種差別に立ち向かう「汎アジア主義」を唱えていたと紹介。ラウレル大統領の理念は、外交中心の汎アジア主義を唱える重光葵外相の考えと、民族自決を優先するウィルソン主義者という点で共通していたことを明らかにした上で、その思想が人種差別撤廃や相互独立の尊重、共存共栄などの高い理想を謳(うた)った大東亜共同宣言に反映されている点を説明した。

 一方で、日本主導の汎アジア主義は、「重光のように外交を重視したものと、東條英機や軍部のように、暴力をいとわない日本支配的な種類とに分かれる」として2種類に分類。

 大東亜会議の「成果」について、「東条や軍部からすれば、参加国から具体的な支援の約束を取り付けられず失敗だった」との評価を下した上で、参加したアジア諸国にとっては「参加国同士の結束を深める契機になったほか、再び失った植民地を取り戻そうとする欧米諸国含め全世界にアジアが独立と平等を望んでいることを知らしめた、という点で成功といえる」と総括。「もし(重光のような)グローバリスト的汎アジア主義者が日本政治権力の中で優勢だったら、ラウレル氏をはじめとする参加者と共に、本当の共栄圏を構築できた可能性もあった」との見方を示した。

 ▽女子差別撤廃委勧告その後

 広島市立大学博士後期課程の沖本直子さんは、戦時中の1944年11月パンパンガ州マパニケにおける日本軍によるゲリラ掃討作戦の際、隣接地域のブラカン州サンイルデフォンソで日本軍駐屯地として使用されていた「赤い家」まで歩かされ性的暴行を受けた女性らの団体「マラヤ・ロラズ」の申し立てを受け、国連女子差別撤廃委員会が昨年3月に比政府に対し出した勧告と、これに対する比政府や支援者らの対応について報告。

 昨年9月に政府が提出した女子差別撤廃委への返答では、「男性が主である退役軍人が手厚い名誉ある処遇を受けているのに対し、女性サバイバーに政府がそうした補償を提供していないことは女性差別」と認定した同委員会の判断を、「継続的差別は存在しない」と真っ向から否定し、「支援はするが、これは補償でも賠償でもない」とする立場を表明していたことを報告。さらに、「マラヤ・ロラズ」代理人が昨年12月、女子差別撤廃委にコメントを提出し、比政府に対し性差別が継続していることを認め、同委員会による勧告内容の完全実施を求めていることなどを説明した。(竹下友章)

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