「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
30度-24度
両替レート
1万円=P3,820
$100=P5885

12月28日のまにら新聞から

「比にも向けた政府意思だった」 河野談話から30年で本人証言

[ 2120字|2023.12.28|社会 (society) ]

河野元官房長官「河野談話は韓国だけでなくフィリピンなどにも向け、政府の意志として出した」

 衆議院は27日、2019年に始動した正副議長経験者からの証言を記録する「オーラルヒストリー」事業の資料公開第一弾として、河野洋平氏(第71・72代衆院議長、宮沢内閣官房長官)の口述記録を公開した。河野氏は、戦時中に日本軍が慰安婦を強制連行したという主張の根拠としてしばしば引用される、30年前に発表された「河野談話」について言及。同談話が韓国だけでなく、フィリピンなどにも向けた「政府の意思」だったと説明した。河野氏へのインタビューは、2019年から22年にかけ、紅谷弘志元議長秘書が計31回にわたって行った。

 同記録で河野氏は、談話発表までの経緯を回顧。それによると、92年1月に当時の宮沢喜一元首相が訪韓した際、「そのときに相当厳しく言われ」、韓国側に調査を約束し帰国。当時の加藤紘一官房長官が資料集めに取り組むが、「日本側に資料がなかった」。そんな中、92年12月に官房長官に就任した河野氏は真相究明の任を加藤氏から引き継ぐ。

 90年には韓国最大の慰安婦団体である旧・韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協、現・正義連)が発足し、91年には韓国元慰安婦が東京地裁に提訴している。

 河野氏はこうした情勢下で行われた宮沢首相の訪韓が、河野談話発表の「きっかけではある」としながら、「韓国に向けてだけ出されたものでなくて、太平洋戦争当時に日本軍が関わった、フィリピン、台湾、インドネシアにも慰安婦はいたわけで、その人たちに対して、あるいはその国々に向けた談話」とした。

 当時、談話発表の記者会見で「強制連行を認めるのか」という質問に対し、「そうです、それで結構です」と河野官房長官は回答。それについて、今回の口述記録で河野氏は「一部の人たちが今もって、『そんな事実もないのに強制連行を河野が認めてけしらかぬ』と言っている」とした上で、「しかし、オランダの植民地だったインドネシアにいたオランダ人女性を、日本軍が強制的に連行して慰安婦にしたというのは、オランダ政府が認めている」と指摘。日本占領下のインドネシアで抑留中のオランダ人女性を慰安婦として働かせた「スマラン慰安所事件」が軍による「強制」の例に当たるとの認識を示した。

 また当時政府職員が韓国人元慰安婦16人に対し実施した聞き取り調査についても「一部の人たちはでたらめとかうそ八百だとかいうけど、40年以上たって記憶があいまいな部分はあっても、発言の内容は心証として明らかに強制的にさせられてというふうに宮沢総理も思われて」とし、その意味でも「強制があるということで結構」という立場が採用されたとした。

 一方、具体的に強制連行を証明する軍の資料は「残っていない」とし、その理由について、終戦の日に多くの軍公式資料が焼却されていることを挙げた。 

 また河野談話の性格について、「村山談話(95年)と違って閣議決定をしていない」としながら、「内閣の意思として官房長官が言っているということになる」とした。

 ▽比での「強制連行」

 93年8月4日に発表された河野談話は、慰安婦の「募集」について、軍の「要請」を受けた業者が主に行い、その際に「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多く」あり、さらに「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と明記する。

 慰安所は、日中戦争期に戦地強姦(ごうかん)や性病のまん延などの問題に対処するため管理売春制度として始まり、現地女性だけでなく邦人女性も慰安婦として就労していたが、いまだに規模や実態については諸説ある。旧日本軍が韓国で奴隷狩りのような慰安婦徴用を行ったという説は、文筆家の吉田清治氏の証言などで80~90年代に広まったが、後に吉田氏の証言が偽りであることが明らかになり、2014年に朝日新聞は同氏の証言に基づく記事を撤回している。

 日本の外務省が出す外交青書(2023年)は、「日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とし、「性奴隷」という表現についても「事実に反し、使用すべきでない」とする。

 一方で、村山内閣で1995年に設立されたアジア女性基金のデジタル記念館は、特にフィリピンで「前線の部隊が農村部の女性たちに性的暴行し、部隊の宿舎に連行、屋内に一定期間監禁して、性的暴行をつづけるケースがあったことが確認されている」とし「もっともはげしい暴力にさらされたこの被害者たちも慰安婦被害者と考えることができる」と解説している。

 大戦終盤の1944年11月23日、パンパンガ州マパニケを襲撃した日本軍部隊が、周辺の比人女性複数人を「赤い家」と呼ばれた日本軍宿舎に連行、1日~3週間にわたり性的暴行を加えたとの証言があり、生き残った被害者はマラヤ・ロラズという慰安婦団体を結成している。同団体の訴えの一部は国連女子差別撤廃委員会に認められ、同委員会は今年3月に比政府に救済措置を取るよう勧告。それを受けマルコス大統領は5月に元慰安婦への福祉事業を行うよう指示を出している。(竹下友章)

社会 (society)