「歴史のページにとどまらず」 マニラ市で「高山右近の日」式典
高山右近のマニラ到着から409年目を迎えた21日、マニラ市イントラムロスで「高山右近の日」を祝福する式典が執り行われた
日本のキリシタン大名である高山右近のマニラ到着から409年目を迎えた21日、首都圏マニラ市イントラムロス地区にあるマニラ市立大の教会で「高山右近の日」を祝福する式典が執り行われた。大阪高松大司教区の前田万葉(まんよう)枢機卿ら比日のカトリック教会関係者が、堅実な信仰と献身で知られる高山右近を祝福し、祈りを捧げた。
この日の記念式典は、市立大から徒歩15分程の場所に建つマニラ大聖堂でのミサから始まった。その後、大聖堂からマニラ市立大の教会まで、2019年に同教会に寄贈されていた繊維強化プラスチック製の右近像を運ぶ、聖体行列を行った。市立大での式典には、マニラ市のハニー・ラクナ市長や在フィリピン日本国大使館の関係者、右近の列聖に取り組む日本人一行らの姿も見られた。マニラ大司教のアドビンクラ枢機卿も祝福に駆けつけた。
ラクナ市長は、1614年12月21日に総勢「350人の日本人を連れた右近がマニラに到着してから409年目になる」とし、「高山右近の日」に指定した市議会決議第273号が18年に制定されたことに触れた。「マニラの息子」と呼ばれる右近の遺産が、「フィリピン人にも多くのインスピレーションを与えている」ことを強調した。その後、前田枢機卿からラクナ市長に感謝状が手渡された。
日本国大使館広報文化センター所長を務める松田茂浩一等書記官は、越川和彦大使のスピーチを代読。高山右近から「外交関係を超え、歴史の中に溶け込んだ関係性が想起される」とした上で、「高山右近を記念する時、両国が共に歩んで来た歴史的な旅路に敬意を表す」と述べた。また「高山右近の遺産は歴史のページにとどまらず、文化交流や人と人とのつながり、地域社会との関わり、観光交流のきっかけとなる。それを鼓舞し育み続け、国民同士の絆を強めてくれることを心から願う」とも続けた。
観光省のシャーリーン・バティン首都圏地域統括部長はまにら新聞に、この日列席していたタカヤマ・ジュビリー財団の「エルネスト・デペドロ博士が、高山右近の複製像を熱意をもって寄贈している提唱者だ。私たち(観光省)にとっても光栄で歓迎しており、私たちは巡礼をサポートしていく」との役割を語った。
▽青い法被姿で参加
大阪府岸和田市に住むカトリック司祭の村田稔さんは「ユスト高山右近列聖祈願巡礼団」として、大阪高松大司教区の神戸や大阪、高松など各地から集まった信者22人と来比。一様に青い法被姿で式典に臨んでいた。「現在右近は福者となっているが、最終的には聖人にしてほしい」との思いを口にした。右近の知名度について、「欧州でもイエズス会では知られているかと思う。ただ、市民の間では日本とフィリピンぐらいなのでは」と説明した。
比には「数えられないほど来ている」村田さん。右近は当時マニラに到着する前から「大名が来る」と知られ、歓迎する空気があった。右近の運動は「マニラと一緒になって、ここ10年ぐらい。第二次大戦前にもマニラ大司教の中には聖人にしたいという動きがあったが、戦争で途絶えてしまっていた」という。
ローマ教皇庁は2016年1月、日本を国外追放となり、マニラに到着して44日後に没した高山右近を殉教者に認定し、翌年2月に福者に指定した。パコ地区プラサ・ディラオに1977年建立の高山右近像があることで知られるマニラ市は2018年、右近が同市に到着した12月21日を毎年「高山右近の日」に制定し祝ってきた。昨年はサンミゲル教会で像の寄贈式も実施された。(岡田薫)