かつての亡命先に降り立つ 因縁のヒッカム基地に到着 マルコス大統領
訪米中のマルコス大統領が37年前に亡命したハワイのヒッカム空軍基地に降り立った
訪米中のマルコス大統領は米時間18日午後7時13分、ハワイのヒッカム空軍基地に到着した。同基地では、アキリーノ米インド太平洋軍司令官、ブラウナー比国軍参謀総長、カールソン駐比米国大使らが出迎えた。1986年2月のアキノ政変(エドサ革命)で大統領宮殿を追われたマルコス一家が、故マルコス元大統領の「盟友」ロナルド・レーガン元米大統領の手引きで2月26日に同基地に亡命してから約37年。無血の民衆革命により国を追われた「独裁者」の息子として同地に落ち延びたボンボン・マルコス氏が、今度は選挙によって選ばれたフィリピンの正統な元首として同基地で歓迎を受けた。
米時間18日(比時間19日)に開かれた在ハワイの比人・比系米国人との交流会で大統領は、米国での6年間の亡命生活を回顧。「私たちは何も持たずにこの地に来た。ここの人々が食料品や家電を提供してくれ、身も心も支えてくれた」と目に涙を浮かべ語った。
さらに、ハワイを訪問することを知った母・イメルダ元大統領夫人に「お世話になった人々の元を訪ねるように」と忠告を受けたことを紹介し、「あなた方がいなければ、私たち一家は困難な時期を乗り切ることはできなかった」と力を込めると、会場から大きな拍手が上がった。
大統領はハワイに発つ前の会見では、「自分たちを追放し、亡命に追い込んだ人たちを許したか」との質問に対し、「私はだれも責めていないし、かれらが必要だと信じていることをしたのであれば、かれらは私の許しを必要としていない」との考えを開陳。その一方で、「もしかれらが許しを求めているのなら、許そう」と述べた。
亡命後のマルコス一家は一時ヒッカム空軍基地に身を寄せたが、米UPI通信は1986年9月4日付で、ホノルル市の高級住宅地マキキハイツに移り住んでいると報道。また、米ニューヨーク・タイムズ紙は88年11月16日付で「イメルダ夫人は亡命生活を『受刑者のようだ』と嘆いているが、毎週日曜日には数百万ドルの豪邸で晩餐(ばんさん)会や最高級レストランでのパーティーを催している」と亡命生活の豪奢(ごうしゃ)ぶりを報じている。(竹下友章)