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11月16日のまにら新聞から

トップに聞く 「一番に思い浮かべてもらえるように」 全日本空輸 岡本健マニラ支店長

[ 3659字|2023.11.16|社会 (society) ]

【トップに聞く】全日本空輸の岡本健マニラ支店長にコロナ禍の状況や市場動向について聞いた

全日本空輸の岡本健マニラ支店長=3日、首都圏マカティ市で沼田康平撮影

 コロナ禍も収束し、各国の観光業界には活気が戻りつつある。日本政府観光局によると、2023年7、8月の訪日フィリピン人の数は対19年同月比でそれぞれ36・9%増、22・7%増と回復傾向が続く。その観光業界を支えるのが、航空会社だ。航空大手である全日本空輸(ANA)はコロナ禍の入国規制など逆境にも関わらず、マニラ便においては好調を維持したという。同社の岡本健マニラ支店長はかつて米国に住み、営業やJICA出向など経験も豊富。岡本支店長にコロナ禍の状況や市場動向などを聞いた。(聞き手は沼田康平)

―経歴は。

 神奈川県生まれ。10歳のとき、父の会社の都合で米ロサンゼルスへ移住した。早稲田大に1年間交換留学しながら、カリフォルニア州立大ロサンゼルス校を卒業し、1991年に全日本空輸へ入社。初めに東京の羽田空港支店旅客部に配属し、チェックインや搭乗案内など現場を経験した。その後、営業など様々な部署に務め、企業の秘書室や海外出張担当部署への営業から日朝首脳会談のときのメディア一行、アメフトチームのチャーター便手配なども担当。JICAにも2年間出向し企画部(当時)にて中米カリブ地域の政府開発援助(ODA)の取りまとめ等を経験。昨年4月にマニラ支店長となった。

―入社のきっかけは。

 米国在住時、青い空に青い飛行機の飛ぶ姿がとても映えており、憧れがあった。当時、同社内で国際便強化への機運が高まる中、言語も含めて日本以外を知ってる人材に需要があると感じた。

 日本への留学を機に、ANAの人事部に面接をお願いする手紙を書いたことが始まり。

―支店における主な事業内容は。

 ANAの支店として、マニラ便等に関する航空運送サービス、旅客・貨物営業、現地における運航関連の許認可業務など。特に比発の旅客・貨物の営業販促やサービスの提供を行っている。日本へ向かう人の中でも日本経由で米国やカナダ、メキシコへ行く人が6割ほどいる。

―コロナ禍の影響は。

 減便を余儀なくされるなど大変な状況もあったが、比人船員の需要に支えられ、比人旅客数はコロナ前よりも2020年以降で増加傾向にある。12年に成田―マニラ便が初めて就航したANAは比では後発。コロナ前は格安航空(LCC)に勢いがあり競争が激化しており、現地での認知度も低く、厳しい環境だった。

 一方、コロナ禍では船員需要に支えられた。日系船会社の船員の約7割が比人。他の船員輩出国である中国やロシア、ウクライナ、インドは規制が厳しく、船員は国外へ出られず、比人船員の需要が世界で高まった。

 また船員は必ず定期的に交替する労務的な取り決めがあり、それを船ではなく、飛行機経由で交替する。比人船員がコロナ前の主要経由先だった香港や台湾、ソウルなどでは入国や乗り継ぎができなかった。一方、日本では入国はできなかったものの、乗り継ぎ可能な特別上陸許可が下りており、多くの比人船員が日本経由で各地に赴いた。船員の需要を取り込むことができ、ANAの国際線のなかでもトップ5に入る旅客数につながった。

 皮肉にもコロナ禍のおかげで船員から広がった口コミにより認知度も上がり、比人旅客数が伸び続けている。

―現在の業績は。

 おかげさまで、全社的に23年3月期は3年ぶりに黒字化(純利益894億円)。今期(24年3月期)について現状営業利益1400億円(前期比16・6%増益)を見込んでいる。

 国内線はコロナ前の9割程度まで戻りつつあるが、国際線は中国便が回復途上であり、ウクライナ情勢により欧州便も戻っていないため、回復は5〜6割にとどまる。一方、アジアや米国が好調で売上を押し上げた。

―市場動向をどうみる。

 ビジネス面ではオンライン会議の普及によりお客様の志向が変わったが、やはり対面の需要も認識されつつある。レジャー面でもバーチャルで楽しむ形の台頭もあるが、現地でしか感じられない空気や雰囲気もあり、今後も航空業界のニーズは消えないと考えている。また人口の多い比やインド、インドネシアなどで収入が上がり、中間層も増え、旅行・航空需要が増加すると期待している。

―貴社を取り巻く環境について。

 マイナス面として、イスラエルとイスラム組織との戦争やロシアによるウクライナ侵攻などにより紛争地周辺に向かう人が減る。ロシアの侵攻については欧州行きの便がロシア上空を飛行できず、最短距離で飛べないため時間や燃油が余計にかかる。一方、燃油サーチャージの高騰や円安が影響し、日本人の海外旅行の戻りも弱い。また観光の全面的な再開に伴う競争激化もネガティブ要因。

 プラス面では、以前比から日本への便の多くは米国へ乗り継ぐ客が多かった一方、円安も追い風となり、乗り継ぎ客の3〜4割が訪日目的の傾向に変わりつつある。

―比日関係をどう思うか。

 過去に悲惨な第二次世界大戦の歴史があったが、70周年を迎えたキリノ元大統領による日本人戦犯恩赦など先人達の努力もあり、良好な関係にあると思う。ここまで親日なのか、と来比して初めて認識した。

―支店が直面する課題は。

 LCCはじめ便数も増え、競争の激化が顕著で、どのように他社と差別化してANAを選んでもらうかが知恵の出しどころ。まだまだ「どこの航空会社?」と聞かれることもあり、認知度についても伸びしろがある。

 

―経営上の信条は。

 安全運航が第一。何が何でもお客様と従業員の安全が第一で、コストをかけてでも守っていく。

―経営判断において重要なことは。

 利害関係者にとってプラスになるか、彼らが幸せになるかが重要な指標。また安全もその一つ。

―今までピンチだったことは。

 父の会社の都合で、10歳のときに米国へ移住した矢先、親会社が倒産し、連鎖で父の会社も立ち行かなくなった。親会社の借金の取り立て業者が来て、家財道具を一切合切持っていかれてしまい、食べるものに困った。後に引っ越した先は白人が全くいない治安の悪い地域で、強盗や銃声も身近だった。そんな経験もあり、ピンチと感じることはあまりない。

―比赴任時の印象は。

 これまで比に来たことは無かった。JICA出向のころから、ODAや貧困のイメージが強かったが、想像以上に大都会で驚いた。人はラテン系で、陽気でフレンドリー。昔米国で周囲にいたメキシコ人と雰囲気が似ている。歴史的にラテン系の血が混ざったのかも。

―社員との関係で意識していることは。

 世間話をはじめ積極的にこちらから話し掛け、コミュニケーションをとり、信頼関係を作る。部屋のドアを開けっぱなしにするなど話しやすい環境を作ること。

―マニラ支店としての目標は。

 日本に行くならまず「ANA」を一番に思い浮かべてもらえるよう、安全、良いサービスや定刻発着を提供していきたい。ここはPRでは伝わらない部分であり、満足してくれたお客様から口コミで広がるように、地道に努力していく。

▼もっと聞きたい!

―日本での過ごし方は。

 単身赴任なので、極力家族との時間をもつようにしている。また比は意外と物価が高く、日本のアウトレットで買い物をする。ゴルフ用品やフリーズドライの味噌汁をよく買う。

―比日の違いは。

 一番は治安面。忘れ物が返ってくる日本と違い、少し気を遣う。それとやはり交通・通信インフラ。一方、人は明るく、優しくて好き。

―好きな言葉や座右の銘は。

 謙虚さを大切にしたいので「初心忘れるべからず」。ANAグループの行動指針にある「あんしん・あったか・あかるく元気」がそのDNAを表している。

―ほかの社長に負けないと自負するところは。

 そんなところはおこがましくてない。たぶん全敗だ。

―最近感動・涙した出来事は。

 涙もろいので、テレビや映画、読書でもすぐに泣く。

―影響を受けた本や映画は。

 在米時に日本のことを学ぶために読んだ「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)と高校時代に紛争の悲惨さを学んだ「キリング・フィールド」(The Killing Fields)。悲惨さが世界にあること、紛争が悲しみしか生まないことを教えてくれた。

―子どものころの夢は。

 中学時代に知り合いの国際弁護士の生きざまが好きで、弁護士になりたかった。

―人生の分岐点は。

 米国への移住時と日本への留学時。

―10年後は。

 ボランティアで日本で訪日観光客向けガイド、比で日本人向けガイドなど面白そう。

―今後挑戦したいことは。

 すでにレッスンに通っているが、タガログ語の習得。また学生時代にドラムをやっていたが、元々メロディー(主旋律)を奏でる楽器に憧れがあり、テナーサックスにチャレンジしたい。

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