「絵筆で比日友好の礎石に」 サムライ絵描き・吉田努氏
「サムライ絵描き」吉田氏に聞く。「比を海外進出の拠点にしようと決心」
昨年、28年の歴史を持ち全国から作品が集まる公募展「ふるさとの風景展 in喜多方」に、マニラ湾の夕日を描いた作品を出展し大賞を受賞した福島出身の画家・吉田努氏。同氏は今月、35年の画業で初めての海外個展を首都圏マカティ市で開いた。コロナ禍を経、8回の渡比を重ねた末に比での個展開催に行き着いたという「サムライ絵描き」吉田氏に、比進出に掛ける思いを聞いた。(聞き手は竹下友章)
―比を選んだ理由は。
私は福島県という北国出身。南の国への憧れを抱いて育ってきた。2019年にマニラで大規模なアートフェアが開かれアジアの美術の中心として注目が集まっていたとき視察を兼ねて来比し、比を海外進出の拠点にしようと決心した。その直後にコロナ禍で来比できなくなり、比への思いはいやおうなく高まっていた。
―初のマニラ個展が実現した。
日本の冬の風景、桜の風景、夏の湖など日本の四季の美しさ。フィリピンのマニラ大聖堂、マニラベイ、ホセ・リサールが生まれた地ラグナ州カランバの風景、比女性像などフィリピンの美。両国の美と向き合った作品を一つの空間に収めた。また、作品の展示方法に掛け軸を取り入れた。南国の風景を掛け軸に収める斬新さは、フィリピンの方にも伝わるのではないか。
―影響を受けた画家は。
17世紀のスペイン宮廷画家ディエゴ・ベラスケス。美術史上最高の絵描きの一人だ。マニラ美術館に行って思ったのは、現代比アーティストはオリジナルな創造性は持っているが、世界の美術史の影響を感じさせない。ベラスケスはスペイン人だが、比現代美術にその影響が感じられないのは、元植民地としての忌避があるためかも知れない。ただ、アートは普遍的なもの。宗主国か植民地かは関係ない。
―美術の本質とは。
ベラスケスやダ・ビンチ、日本の雪舟の作品に体現されている「空間」。空間とは空気。描写対象の裏にある、背後の空気を描くことだ。二次元である絵画においてこの矛盾を克服し、「空気」を描けたから、ベラスケスたちは世界一の画家とされている。
いま、モダンアートといったらほとんど抽象芸術。だけど私は時代の揺り戻しとして、具象画が脚光を浴びる時代が100年後には間違いなく来ると思っている。
―「サムライ絵描き」の由来は。
武士は刀にプライドを持っていた。刀はむやみに振るうものではなく、責任の象徴。いざとなったら腹を切る覚悟でことをなしていた。それと同じで、私は1枚の絵を描くことに命を掛けている。その絵を理解してもらえなかったら生きていけない。画業で生きていくのは至難。それを承知の上で、夢と志を抱きこの道に入った。だから自分にとって絵筆は世の中での戦いの道具。刀を絵筆に変えたサムライスピリットで絵を描いている。
私は、サムライ絵描きとして異国の地でひとりで戦っている。今回比国から歓迎されたことには、絶大な感謝を感じる。比日友好の架け橋の礎石の一つになるため、精進を続けたい。
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よしだ・つとむ 1965年福島県白河市生。武蔵野美術大、同大学院を経て、95年渡仏。3年で300枚以上の油彩画を描く。05年月刊美術情報誌「春桃通信」発刊。06年美術研究所桃下村塾設立。業績に第1回JAM展審査員特別賞、第28回ふるさとの風景展in喜多方大賞など多数。画集に「吉田努作品集」(1~3巻)。