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9月6日のまにら新聞から

「大統領の強い決意で実現」 MILFとの包括和平合意

[ 1299字|2023.9.6|社会 (society) ]

マグサイサイ賞のフェレス教授「ノイノイ元大統領のリーダーシップが大きかった」

ZOOMで会見に応じたミリアム・フェレル教授=4日

 史上初の政府の女性和平交渉責任者として、2014年のモロイスラム解放戦線(MILF)との包括和平合意締結に貢献した功績などで今年のラモン・マグサイサイ賞を受賞したフィリピン大のミリアム・フェレル教授は4日、メディア向けのオンライン会見に応じた。同教授は和平交渉成功の要因について「ノイノイ・アキノ大統領=当時=のリーダーシップ」を第一に挙げ、「和平プロセスは決して人気のある政策ではなかった。それでも大統領は世論を押し切って和平交渉を進める方針をとった」と強調した。

 同教授は、日本の仲介で2012年に成田空港近くのホテルで実現したアキノ大統領とMILFのムラド議長の歴史的会談ですら「当時、肯定的に論じた識者は少なかった」と回顧。

 当時の世論について、「武力衝突が発生する度に国民からは批判が殺到した。バシラン州でMILF部隊との国軍の間で武力衝突が発生したときは、国民は『戦争を再開しろ』『連中を倒せ』の大合唱だった」と振り返り、「その時の大統領の選択は軍の作戦を精査し、その中の問題点を見つけ出すこととだった。結果的に双方が自部隊に懲戒処分を下すことで決着できた」と交渉の危機を乗り切った経緯を説明した。

 また政府官僚全体も「大統領の方針に協力的で、妥協点を見出すために最大限知恵を絞ってくれたことも大きかった」と説明。さらに「和平合意は文章。どの利害関係者にも恐怖や疑問を抱かせない文章表現にするためには『言語工学』と『創造性』が必要だった」と述べた。

 MILF側についても「9・11発生時にはテロ行為を明確に否定する声明を出すなど、平和的解決を真剣に望んでいた」と強調。「かれらの(自治権に関する)元々の要求は改憲を必要とするものだったため非常に困難だったが、最終的に妥協案を飲んでくれた。これは非常に重要なことだった」とした。その上で「将来的な改憲の議論の際に、かれら(MILF側)の要望を反映させる可能性もなお開かれている」と付け加えた。

 一方で、MILFなどの最終的な武装解除については「今後数カ月で数万人の戦闘員を除隊させ、次の武装解除フェーズに行くというのは難しい」と指摘。「しかし既に話し合いのメカニズムは確立されている。あとは政府や関係者が実行できるかどうかだ」とし、2025年のバンサモロ自治政府樹立に向けた和平プロセスの加速への努力を促した。

 同教授はまた、女性が和平構築の責任者を務めることについて「困難だった」と率直に語り、その上で「比には、民主化と女性の権利運動という背景があったため、それ(女性和平責任者の実現)をある程度は容易にしていた」と分析した。

 さらに、和平交渉における女性の役割について「自分のグループを『女性団体』としてパッケージ化すると、女性問題という枠から抜け出せなくなる」と指摘。「これまで男性が対処してきた困難な問題に取り組むことが必要だ」とし、社会問題の解決に女性の視点を取り入れることの重要性と同時に、女性問題だけに自らの可能性を閉じ込めてしまう「落とし穴」の存在を指摘した。(竹下友章、ジャスパール・タン)

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