向こう10年の比研究の足場に 「現代フィリピンの地殻変動」 比研究者12人共編著
早稲田大で今年3月にフィリピン研究者12人の共編著で出版された「現代フィリピンの地殻変動」の合評会が開かれた
早稲田大で8日、今年3月に日本人フィリピン研究者12人の共編著で出版された「現代フィリピンの地殻変動―新自由主義の深化・政治制度の近代化・親密性の歪(ゆが)み―」の合評会がハイブリッド形式で開かれた。本書の中心の問いは「2010年代の比はどういうものだったのか」。社会福祉と経済成長が進展するなか、かつての「つながりによって貧困を生き抜いていた社会」はどのように変容しつつあるのかを、気鋭の若手研究者が、違法賭博、KTV、海外比人就労者、違法中絶など多様な事例から浮き彫りにする本書を題材に活発な討議を交わした。
▽光と影を映す軸
編著者の立命館大大学院・西尾善太特別研究員は「本書は単一の物差しでは評価できない2010年代の比社会の光と影を領域横断的に論じている。だからこそ、10年後、15年後まで比から知識を集めるための足場になれると思っている」と手応えを語った。
また、同書は序論が二つあり「普通の本ではない」と紹介。東京外語大の日下渉教授による序論では「新自由主義の深化過程で人々がストレスにさらされ規律を身に付けることを強要されたことが、ドゥテルテ政権の誕生に結び付き、それが麻薬戦争の発生や自由民主主義の基盤の喪失につながっていることが批判的に検討されている」とする一方で、早稲田大の原民樹助教による序論では「ドゥテルテ政権がアキノ政権から引き継いだ社会福祉政策の拡充を進めたことに注目し、近代化の道筋をたどっていると評価している」と解説した。
京都大東南アジア地域研究研究所の町北朋洋准教授は、同書の魅力について「ドゥテルテ政権に対する評価軸を増したという貢献は大きい」と説明。その上で、米国の自由・民主主義成立期の状況を描いたトグビルによる政治学の古典「アメリカのデモクラシー」(1835年)と比較し、「本書は現代フィリピンの自由・民主主義の成立や、それを左右する社会的条件を集合的に探っている」と評価した。
また、マクロレベルから比経済の特徴を描いた井出穣治氏の「フィリピン―急成長する若き『大国』」(2017)に対し、ミクロレベルの研究所である本書は「補完的な書になっている」とした。
一方で、副題に採用されている「新自由主義」について「この言葉は自助・共助・公助の境界を明確にし、その間にあるはずのグレーゾーンを見えにくくする。この概念自体、いろいろな人が自由に使い手あかが付いている」と指摘。「比研究から新たな概念を打ち出せないか」と問題提起した。
▽麻薬戦争の真の目的
ディスカッションで原助教は「今の比のモメントは近代化だ」と指摘。「近代化の要素の一つはマックス・ウェーバーが指摘したように国家による暴力の独占。比では私兵が暴力を振るっても処罰されない状態が続いているが、ドゥテルテ前大統領がやろうとしたことは法の外側で力を持つ勢力から力を奪い中央政府に集中させることだった」との見方を示した。その上で、麻薬戦争の本当の目的については「麻薬取引を資金源とする地方勢力の力を奪うことにあり、それは、同時に進めた福祉拡大とも、国家への力の集中という点で軌を一にしていた」と説明した。
フィリピンで40年以上活動してきた特定NPO法人APLA理事の大橋成子氏は、本書で論及される「製造業・農業の育成なしの経済成長」という比経済の特徴について、輸入物の便器を取り付けても下水道の不備から水が流れない「壊れた西洋トイレ」というたとえを引き、基盤となる産業の未成熟さを指摘。
また、米軍基地返還後にクラーク経済特区は韓国系資本、スービック経済特区は中国系資本が住み分け支配する「新植民地的状況」があるとし、「外国志向の産業発展からの脱却は可能か」と若手研究者に問題を提起した。(竹下友章)