「今年中に圧倒的な知名度を」 殴られ屋KENJIさんに聞く
パンチを巧みに交わす「殴られ屋」としてSNSで情報発信するKENJIさん聞いた
殴られ屋KENJIさん(28)を知ってるだろうか。独特なトレードマークの髪型に魅せられ話しかけたが、正直最初は誰か気付かなかった。ただ、話を聞いている内に引き込まれてしまった。フィリピンでもスラム地区を歩き、巧みにパンチをかわす「殴られ屋」として、路上の人々と触れ合う動画を、ユーチューブやツイッターなどSNS上で発信している。今年の活動拠点を比に定め、フィリピン語も勉強中だというKENJIさん。その夢や目標、比に込める思いなどを探った。(聞き手は岡田薫)
―比は初めてか
今年1月15日から1カ月半、3月頭までセブやマニラにいて一度帰国した。今回は2、3カ月滞在する予定。「殴られ屋」では30秒間ぼくの顔面を殴り放題。それを避けたりガードするパフォーマンスを、マラテ(マニラ市)の公園で実演した。夢である「世界平和」実現のため、スラムでは日本円で10万円分ものお菓子を買って子どもたちに配る活動もしている。
―知名度はどうか
日本人と出会った時は、けっこうな確率で声を掛けてくれるが、フィリピンではまだ知名度がほとんどない。でも手応えは良く、遠征で行ったドバイとスペインと比べ、ここにはボクシングのマニー・パッキャオさんとかレジェンドがいるので、関心が強くてやりやすい。バッキャオさんとは撮影の話があったが延期になってしまった。テレビ出演もしたいし、やはり「世界のパンチ」をかわしてみたい。
―どこを活動場所に
マラテを拠点にする予定。「殴られ屋」は夜の街にすごく似合う仕事で、ワクワクする。自分の中でのフィーリングかな。マラテでは、バランガイ(最小行政区)や警察の協力を得て、殴られ屋を実演。ホストクラブでも、ステージでホストやお客さんを相手に殴られ屋をして、すごく楽しんでもらえた。これからは日本より海外で活動しようと思う。忍者が好きなので「ninja boxer KENJI」という海外チャンネルを立ち上げたい。
―どうして殴られ屋に
元々運動音痴でいじめられっ子だった。でも中学1年の時に「自分が変わらなきゃ」と思いキックボクシングを始めた。中学3年時には自分の強さが分かっていた。それで自分のできることとして、殴られ屋を始めた。動体視力を鍛えてさらに強くなりたいと。街中でパンチをよけて、楽しんでもらえ、知名度も付き、お金ももらえたら最高だと。たまたまそれらが重なったのが「殴られ屋」だった。
今から7年前に世界タイトルマッチに出て、それを契機にキックボクシングをスパッとやめた。「世界的に知名度が絶対にほしい」と思ってきたが、キックボクシングには団体が多く、世界を取ったところで有名になれないことに気づいた。続ける意味があまり感じられず、ユーチューブに転向。日本を一周しながら各地で殴られ屋をやってきた。京都にいる家族は「もうやりたいようにやったら」と。言うことを聞かないんで、ぼくは。
―将来は
ただ、いつまでも殴られ屋はできないと思っている。大きな人とも体重差関係なく戦うので、ガードしてもパンチが効けば脳にダメージを受ける。だからあと2年で辞めようと考えている。今年はフィリピンで、来年は米国で撮影していきたい。今年中に圧倒的な知名度を付け、来年は米国や全世界での知名度を得ることが目標。その後のビジネスはこれから考えていくつもり。
ただ、いろいろな国でスラム街に行くことが多いので、そうした国にNPO法人をいずれ作りたい。実際子どもたちに援助が届いていないケースも見ているので、確実に届けられる仕組みを考えている。
―比で驚いたことなど
この間1カ月半いてトイレで便座がないこと。どうやって座ればいい、というのが一番の衝撃だった。また、どこに行っても子どもが多くて、日本はやはり高齢化なんだなとも思った。みんな優しくてフィリピンは好きだな。この髪型だと、すぐに仲良くなれる。
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NAGURAREYA KENJI 1995年3月4日、滋賀県出身。本名は福屋賢治。高校卒業後の2013年に大阪NSCの36期に入学。一時ホスト経験も。17年11月世界タイトルマッチ。19年には年間100万人来場の舞台で半年間主演を務めるも芸歴8年で引退。20年に朝倉未来とコラボし、ユーチューブ活動を開始。無人島サバイバル生活や無一文ヒッチハイク日本一周、21年にはオリジナル曲「一生チャレンジャー」をリリースしている。