酪農で検査体制、生産性の向上を 3年ぶり現場に戻る海外協力隊員
海外協力隊としてドゥマゲテ市の酪農業界へ再挑戦する工藤祥平さんに聞く
国際協力機構(JICA)のJICA海外協力隊によるボランティア事業が再び活発化する動きをみせている。フィリピンではコロナ禍で2年間、派遣停止を余儀なくされていたが、JICAフィリピン事務所の福井正和企画調査員によると、2022年度春募集ではフィリピンからの要請(案件)7件中6件の派遣が決定し、今年6月に2人、12月~来年1月にかけて4人が派遣される予定だという。さらに現在、2022年度の秋募集として17件、5月から始まる2023年度春募集では30件の要請があがっており、海外協力隊の活躍の場も増えそうだ。今回、コロナ禍で一時帰国を強いられ、3年ぶりに比に戻ってきた海外協力隊の工藤祥平さん(30)に意気込みを聞いた。(聞き手は沼田康平)
―比での活動内容は
ビサヤ地方東ネグロス州ドゥマゲテ市の酪農協同組合所有の牛乳処理プラントに配属される。地元農家が搾乳した生乳を受け入れ、品質検査などを行う組織であるが、検査が役割を果たせていない現状も見受けられ、検査体制の確立に尽力したい。また、酪農家における生産性の向上に向けた指導も行う。人間同様、牛も出産しない限り乳が出ない。酪農経営で重要な繁殖サイクルを人工授精の知識を生かして合理化し、搾乳量の増加に繋げたい。
新製品の開発においても助力できればと考えている。現時点ではソフトクリームの原料であるアイスクリームミックスを想定している。カフェなどに流通できないか検討したい。
―海外協力隊に参加するきっかけは
畜産現場を経験したなかで、日本のプラントではどこも同じような仕様形態で、従業員も忙しく、効率化・省力化を重視する環境がほとんどだった。一度、他国で機械化される前の酪農の根本を自分の目で見てみたかった。
―これまでの経歴は
高校卒業後、動物が好きだったことから北海道立農業大で畜産科に進んだ。卒業後は北海道や長野、福井で酪農家に勤務し、酪農に関する一通りのことを経験してきた。
海外協力隊としては2020年に同じ配属先へ一度派遣されたが、コロナ禍の影響で帰国。コロナ禍の間は日本の乳製品の加工業や酪農機器メーカーに勤めた。
―比の牛乳をどう思うか
牛乳自体あまり好きではない。以前日本の生産現場を見てから飲まなくなってしまった。
―比の牛乳業界をどうみているか
牛乳の自給率は1~2%で輸入に大きく依存。輸送手段が未整備であることが起因している可能性がある。日本では冷蔵で輸送する一方、比では冷凍輸送するが、成分が変わる。島国ということもあり、鮮度、品質を維持しながら島しょ間を輸送することが難しいようだ。また容器の洗浄も不十分で、衛生面にも課題がありそうだ。
エサの確保も難しいようだ。日本では春から夏にかけてエサとなる牧草を収穫し貯蔵する。比では特に乾季に牧草が不足しがちだと聞く。加えてロシアのウクライナ侵攻などで牧草の生育を促進する肥料も入手しづらく、厳しい状況が続いている。
―酪農の大変さは
休みが少ない。もちろん、牧場の仕事を代行してくれる酪農ヘルパー制度もあるが、コスト増とともに牛の扱いに慣れていない人が派遣されてトラブルになるケースもある。
現実的なのは牛の数を減らし作業時間を短縮すること。収入は下がるが、体力と経済的なバランスを取ることが持続性につながると考えている。
―これまでの経験をどう生かしたいか
牛の飼育管理、乳製品の加工、搾乳機器のメンテナンスや設置など広い範囲で協力できれば。機械化されておらず、手作業が主流の業界である
一方、非効率に見えるが、彼らがもつ資源を最大限活用している点は理にかなっている。そこから何かを変えていくのは困難に感じる。そういう側面も視野に課題を可視化していければ。
―派遣期間中に目指すところは
生産向上に対して酪農家が動いた分、収益として還元されるようなアプローチができる場なので、彼らの生産意欲が上がるような活動を目指し、喜んでもらえたら。
―来比への不安は
生活面ではないが、言葉の壁には不安を感じる。現地の酪農家さんのなかには英語が分からない方もいる。現地語習得の必要性は感じている。
―派遣終了後の見通しは
特には決めていないが、この先2年間とこれまでの畜産経験を社会に活かしたい。
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くどう・しょうへい 1992年生まれ、青森県出身。2012年に北海道立農業大畜産科卒業後、北海道や長野、福井の酪農家で勤務。19年に海外協力隊応募し、20年に着任も、コロナ禍のため帰国。今回3年ぶりに海外協力隊として東ネグロス州ドゥマゲテ市へ再派遣される。