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3月1日のまにら新聞から

トップに聞く 「治水インフラで命守る」 建設技研インターナショナル賀来衆治支社長

[ 2577字|2023.3.1|社会 (society) ]

開発コンサルタント建設技術研究所の賀来支社長に比での取り組みを聞いた

建設技研インターナショナル賀来衆治支社長=竹下友章撮影

 毎年多数の台風が上陸し、洪水被害が多発するフィリピン。昨年10月末、160人以上の命を奪った台風パエンが比を通過した後、被災地の一つであるカビテ州を視察したマルコス大統領は地図を指さして「洪水発表の長期的な解決策は国際協力機構(JICA)事業だ」と指摘した。その地図を用意したのが、開発コンサルタントとして同州の洪水リスク管理事業を受注している建設技研インターナショナルの賀来衆治支社長だ。21年に同州に完成した比初の遊水地の建設のほか、河川改修、放水路事業などを手掛ける賀来支社長に、比での取り組みを聞いた。(聞き手は竹下友章)

 ―建設技研はどんな企業か。

 元々は財団法人建設技術研究所といって1945年に開設された政府所管の研究機関。63年に株式会社化された。建設コンサルタントとしては日本最初で、河川改修に関しては日本トップ。

 建設技術研究所がフィリピンに来たのは1958年。戦後補償の一環だった。マリキナ川にダムを作るのがその時のミッション。設計はほぼ終わりかけたが、作る直前にイタリアでダム決壊事故があり、見直しになった。なお、マリキナダム構想はその後も計画と見直しを繰り返している。

 戦後補償事業が終了した後も、円借款事業を担っていた海外経済協力基金=OECF、99年に国際協力銀行に統合=の事業として治水関係の設計や調査、マスタープラン作りなどで比のインフラ開発に関わってきた。99年には海外事業部が建設技研インターナショナルとして子会社化。日本の政府開発援助(ODA)、公共事業などに関する開発コンサルティング業務を担っている。

 ―比との関わりは。

 最初に来たのは92年。その前年の91年に起こったのが、ピナトゥボ火山の噴火と台風「ウリン」によるレイテ島オルモック市の洪水の2大災害だった。オルモック市では死者・行方不明者合わせて約8千人。同洪水は20世紀最大の洪水被害だった。

 国際協力事業団(旧JICA)による調査が93年に調査が実施され、96年に洪水被害軽減のための河川改修に関する無償協力資金協力が決定。その施工管理を任され、98年に再度比に赴任した。

 ―どんな苦労があったか。

 最大の困難は土地収用。それまでJICAは基本的に学校などハコモノを作っており、用地収用の経験は基本的になかった。

 土地所有者からの土地購入の準備が出来ている所を先に買っていくだけでは、工事が可能となるまとまった土地にはならない。工事できるところから場所を決めて、自分でどこを優先に買い取るか差配していた。

 ―住民の反対はあったか。

 もちろんあった。所有者との交渉も行っており、裁判所に召喚されたこともあった。

 レイテ島は戦争の記憶が強く残っている土地。日本人も10万人くらいレイテ島で死んでいる。

 一番悲しかったのは、あるおばあちゃんが「私はね、戦争のときに兄弟を奪われた。今度は家を取るんですね」と言われたとき。最初公共事業道路省(DPWH)の職員と一緒に行ったのに、いつの間にか彼らは逃げていて、おばあちゃんと2人きりになって話し合いを行った。

 こうした経験を通じ、土地売却を拒否する人がいても必ずその人を説得できる人がどこかにいることが分かった。例えば、子どもを洗礼するときのゴッドファザー(代父)がいる。代父には地位、人脈と金持ちのある人がなること、また代父はその子どもを生涯にかけて面倒を見ることから、代父の説得に従うことが多い。

 このため、拒否者の代父を探して説得するかが重要。人づてにそういう人たちを探した。

 そういう地道な取り組みが必要で、事業の進みは遅くなる。当時は「こんな問題の多い案件は今後やらない」と言われた。当時40歳前だったのに、施工管理を手掛けた3年7カ月で髪の毛が真っ白になった。

 ―プロジェクトの効果は。

 工事は2001年8月に完了。その2年後の2003年に、91年と同規模の洪水がきた。今度の洪水では、1人も死者・行方不明者が出なかった。オルモック市議会は感謝の決議を採択、JICAと在比日本国大使館に感謝状を送った。

 すると、それまで「問題案件」と言われていた本件が、一気に「ベストプラクティス」と呼ばれるようになった。数年後、全ての無償事業の事後評価がされたとき、全世界のJICA無償事業の中でオルモック市河川改修事業が最高の評価を取った。

 ―今後の展開は。

 15年ほど前から、治水事業だけでなく、道路・トンネル・橋梁事業にも事業を拡大している。また、これから比が上位中所得国入りすると、JICAの仕事が将来的に減っていく可能性があることを織り込み、アジア開発銀行(ADB)などの国際機関、DPWH、自治体、民間企業から業務を受注する体制づくりを進めている。

 2017年にはフィリピン支社を設立。支社は現地事務所と違い、課せられる税金も違ってくる。これで上下水道事業会社マイニラッド・ウォーターなど、民間の仕事も受注できるようになった。さらに、2021年には100%出資の現地法人を作った。現地法人は直接自治体の案件を受注できるし、官民連携(PPP)にも参加できる。

 比人のエンジニアを育成することも重視している。3カ国以上で経験があると「インターナショナルエンジニア」としてADBから認定を受けられるため、他国でも経験を積ませ世界に通用する人材に育てたい。

 かく・しゅうじ 19

60年台湾生。大阪大学士、デラウエア大修士、7年間建設会社勤務、その後建設技研に就職。 

もっと聞きたい!

 ―影響を受けた人は。

 大阪大の椹木亨先生。

 ―影響を受けた本は。

 村井吉敬著「エビと日本人」、吉村昭著「高熱隧道」

 ―モットーは。

 身体作りは国造り。

 ―得意科目は。

 測量、水理模型実験。

 ―なぜ建設技研を就職先に選んだか。

 建設コンサルタントとして、海外での業務の多様性と重要性を実践できるから。

 ―10年後の会社と自分の展望は。

 会社は継続的にフィリピン国のODA案件、民間案件で展開。私自身は、既にリタイヤして、たまにフィリピンに旅行していると思う。

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