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12月29日のまにら新聞から

検証2 抗弁は不可能だったのか マルコス家相続税未納問題

[ 2306字|2022.12.29|社会 (society) ]

検証2・相続税未納問題に関するマルコス大統領発言の真偽を裁判記録から検証

マルコス家相続税問題年表

 マルコス家の約2030億ペソに上るとされる相続税未納問題は、今年5月の大統領選でマルコス陣営最大の弱点ともいえる論点だった。同陣営弁護士は「係争中だ」とだけ主張。同問題が議論された候補者討論会にボンボン・マルコス現大統領は全て欠席。亀のような守りを最後まで貫き当選を果たした。就任後、大統領はようやく口を開き、「裁判が行われたのは亡命中であり抗弁する機会がなかった」と主張した。

 大統領は9月13日放送のインタビュー番組で、相続税未納問題について「裁判が始まったとき、一家は全員米国におり、主張することは許されなかった。裁判でわれわれの番が回ってきたとき、(ハワイの)ヒッカム空軍基地内に『幽閉』されており、抗弁する機会はなかった」と説明。「マルコス家所有といわれる財産の内容を明らかにするために、再度裁判を開き87~89年にできなかった主張をさせてほしい」と訴えた。

 事実関係を精査してみると、この大統領の主張の中には少なからず事実との矛盾が見つかる。

 ▽豪奢な亡命生活

 まず、ハワイ亡命期間中、ヒッカム空軍基地に幽閉されていたという部分だが、米UPI通信は1986年9月4日付で、故マルコス元大統領の側近、アルイサ元大佐の発表として一家がホノルル市の高級住宅地マキキハイツに移り住んだことを報じている。つまり、基地暮らしは最長5カ月程度だったことになる。

 引越し先の約135坪の邸宅での生活について米ニューヨーク・タイムズ紙は88年11月16日付で「イメルダ夫人は亡命生活を『受刑者のようだ』と嘆いているが、毎週日曜日には数百万ドルの豪邸で晩餐(ばんさん)会や最高級レストランでのパーティーを催している」と亡命前に劣らぬ豪奢(ごうしゃ)ぶりを報じている。

 さらに「87~89年に抗弁の機会が与えられなかった」という部分だが、そもそもこの時点では内国歳入庁(BIR)から相続税の徴収は命じられておらず、それに関する裁判は開かれていない。97年6月5日付最高裁第2小法廷判断によると、マルコス一家と「取り巻き政商」の納税義務を調査検討するためBIRに「特別税務監査班」が設置されたのは、90年6月27日。その調査結果が発表されたのは91年7月26日。BIRは故マルコス元大統領の遺産の相続税を232億9360万7630ペソと査定した。

 ▽利用しなかった抗弁機会

 重要な点は、BIRの査定額をマルコス側に通告した時期だ。というのは、国家内国歳入規則の旧299条とその施行細則に、送達から30日以内であれば査定額について抗議でき、それを過ぎると査定額が確定し上訴不可能となると規定されていたからだ。

 BIRが最初に査定額を送達したのは、まだ一家が亡命中の91年8月26日。首都圏サンフアン市のイメルダ夫人所有の住宅宛だった。同年9月12日にはイメルダ夫人とボンボン氏の国内住所にも送達。この時は両住宅の管理人が受け取った。

 91年11月4日、マルコス一家は5年ぶりに比への帰国を果たす。それから約1年後の92年10月20日、BIRはイメルダ夫人の代理人弁護士事務所に査定結果を正式に送達する。だがマルコス家は、どの通知にも30日以内に抗議しなかった。

 93年2月22日、税金未納のため不動産差し押さえを行う旨の通知が22通送達された。マルコス家はここでようやく動き出す。

 93年3月12日、ボンボン氏の代理人が同氏の利益に影響する措置について通知するようBIRに要請。BIRは93年4月7日、6月10日にこれまでの通知を再送した。

 93年5月26日にはマルコス家所有のタクロバン市の土地11筆を競売に掛ける通知が同市役所に掲示される。ボンボン氏は6月28日、BIR長官を相手に不動産差し押さえの仮差し止めを控訴裁判所に申し立てる。しかし直前で競売を止めることはできず、7月5日に競売は実施。しかしマルコス家の土地を買おうとするものはおらず、最終的に国が没収した。

 控訴裁は94年11月29日付で申し立てを棄却。これを不服としたボンボン氏は最高裁にも申し立てた。

 最高裁第2小法廷は97年6月5日、亡命中の91年8~9月に送達された査定通知は別としても、帰国後の92年に送達された査定通知には「抗議することが可能だったことは明らか」と判断。通知受け取り後30日以内ならできたはずの抗議機会を利用しなかったことは「致命的だった」と断じた。同判断は最高裁第3小法廷が99年3月9日付で「最終的かつ有効」だと確認した。

 BIRが完勝したはずのマルコス家相続税問題だが、訴訟前に競売にかけることが決まっていたタクロバン市の土地を除き、徴収が進んでいるという報告は見当たらない。

 最高裁の判断から20年以上が経ち、232億ペソの相続税は追徴金・延滞利息で約2030億ペソに膨らんでいるとの計算がある一方、ドミンゲス前財務相は今年4月5日にBIRも総額を確定できていないという旨の発言をしている。

 カルピオ元最高裁判事は「BIRが5年ごとに納付を要求しなければ納付義務が消えてしまう」と警告。BIRの直近の納付要求は21年12月2日付であり、大統領任期中の26年中にBIR長官が納付を再度要求しなければ「時効」を迎えるとの説だ。

 また、現政権下で任命されたゲスムンド最高裁長官は「最高裁がこの問題を再審することは可能」との見解を示す。逃げ切りを狙うにしても逆転を狙うにしても、マルコス家にとってアキノ政変以降最大の好機が訪れている。(竹下友章)

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