サンミゲル教会に像寄贈 高山右近渡比から408年
高山右近が比に渡ってから408年目で、右近像をマニラ市サンミゲル教会に寄贈
日本のキリシタン大名として知られる高山右近(1552~1615年)がフィリピンに渡ってから408年目に当たる21日、首都圏マニラ市で、高山右近像がサンミゲル教会に寄贈された。マニラ市は2018年に同日を「高山右近の日」に制定している。比のタカヤマ・ジュビリー財団の呼び掛けによる寄贈式には、越川和彦駐フィリピン日本国大使やマニラ日本人会の高野誠司会長らが出席。マニラ大司教のアドビンクラ枢機卿が、像を祝福し祈りを捧げた。
アドビンクラ枢機卿は出身地ビサヤ地方カピス州のサンイシドロ・ラブラドール礼拝所に2021年3月、比で初となる「高山右近伝導所」を設置している。
長年にわたって右近の研究をしてきた同財団のエルネスト・デペドロ博士によると、右近像のオリジナルは、バチクリンという東南アジアにしかない特殊な木でできており、腐ることがなく、シロアリも寄りつかない。
一方、サンミゲル教会に寄贈された右近像は繊維強化プラスチックで作られた複製。既にバチカンやイタリアなど6カ国に設置され、今回で40体目となる。比ではマニラ大聖堂やサントトマス大、マニラ市立大などに同様の像が置かれてきた。
同財団は新型コロナ禍でも米国・ロサンゼルスのリトル東京にある聖フランシスコ・ザビエル日系人センターに右近像1体を設置した。デペドロ博士は「来年からオックスフォード大をはじめ、より多くの場所に設置していく」と話している。
江戸時代に日本で殉教し、海外比人就労者(OFW)の守護聖人とされる聖ロレンソ・ルイスの像が設置されている場所に右近像を建てることが財団の目標で、「フィリピンと日本のキリスト教の象徴であり、両国の理解の架け橋」になるとも語った。
越川大使はスピーチで、有名な戦国大名の1人である右近とともに日本追放となった約350人のカトリック信者がマニラに到着して408年目の記念すべき日だと述べた上で、「右近は徳の高い人物としても知られ、多くの武士がその影響からキリシタンになった」と紹介した。
右近は渡比して44日後の1615年2月3日にイントロムロスで亡くなった。越川大使は「フィリピン人の温かいもてなしの心に触れ、その後長きにわたる友好関係の種を蒔(ま)いた」と称えた。
▽右近ら描いた油絵も
右近像とともに、画家のデリック・マクータイさんが、マニラに着いた右近とその家族を含む一行を描いた油絵も展示されていた。
絵の制作に約半年を費やしたというマクータイさんは、「制作の過程でデペドロ博士やサンアウグスティン大の歴史学科のメンバーと当時の日本や右近に関する研究を続けてきた。成果として、服装の細部などこれまでの絵の中にみられた歴史と照らし合わせて誤っていた部分が、今回の絵で修正できたと思う」と微笑んだ。
高山右近は現在の大阪府に生まれ、少年時代に洗礼を受けた。高槻城主として織田信長や豊臣秀吉に仕えたが、江戸幕府の禁教令により1614年に国外追放となり、家臣ら約350人とともに長崎からマニラに渡った。
サンミゲル教会や、同市パコ地区のプラザ・ディラオの辺りには当時、日本人居住区が設けられていた。また、プラザ・ディラオにある高山右近像は1977年に横浜市と高槻市の協力により建立された。(岡田薫)