「比の辛苦にただ寄り添う」 比空爆開始から81年で空幕長
井筒航空幕僚長が英雄墓地を訪問。先の大戦での両国の戦没者に捧げた思いを語った
航空自衛隊の井筒俊司航空幕僚長(空将)と比空軍オーグスティン・マリニット防空コマンド司令官(少将)は7日、パンパンガ州クラーク空軍基地で共同記者会見を開いた。翌8日は、大日本帝国がクラーク飛行場を空爆し、比への軍事侵攻を開始して81周年の日。それに先立ち井筒空幕長は6日、先の大戦での戦死者を含む比将兵が埋葬される「英雄墓地」を訪問した。会見では墓地訪問を振り返り、「比日で多数の人々が命を落としたことを認識している。戦争の大禍で斃(たお)れた全ての人々に対し、深く頭を垂れ、痛切の念を表し、深く哀悼の誠を捧げた」と述べた。
先の大戦で日本と戦い命を落とした比側の「英霊」に、旧帝国陸海軍飛行部隊の系譜を引き継ぐ空自の長として何を感じたかとのまにら新聞の質問に、同空幕長は「戦争の惨禍は決して忘れてはいけないし、乗り越えられるものではない。ただ耳を傾け、寄り添うことが重要だという思いを新たにした」と語った。
また、英雄墓地で「彼の名前は誰も知らないが、彼の名誉は誰もが知っている」という旨が書かれた墓標を見たことを振り返り、「たいへん感慨を受けた」と語った。
先月末から実施されている空自・比空軍の「部隊間交流」には、6~8日にかけ空自の戦闘機「F―15」も「親善訪問」として参加。戦後はじめて日本の戦闘機が比に上陸した。
このタイミングに戦後初の日本戦闘機の派遣を決めた理由について井筒空幕長は「単純にコロナ禍による計画延期や戦闘機を飛ばせる天候を待った結果だ」と説明した。
1941年12月8日、真珠湾攻撃の約10時間後の午後1時半に日本軍航空部隊はルソン島中部のクラーク、イバ両米軍基地を攻撃。米軍の重爆撃機、戦闘機約100機を破壊した。この先制攻撃で制空権をほぼ手中に収めた日本軍は、ここから破竹の勢いで比を占領した。
▽レーダーはルソン北部か
マリニット防空コマンド司令官は、日本から初めての完成装備品の海外供給となる防空警戒レーダーについて、比空軍要員が10~11月に日本でレーダー運用・保守管理の訓練を終えたことを明らかにした。
レーダー1基の部品は既に比に移転されており、施設が完成次第、組み立ておよび設置を行う予定。完工は来年第1四半期となる見込みだという。
最初のレーダーの設置場所については「おそらくは(イロコス地域)ラウニオン州のワラス空軍施設内になるだろう」と述べた。
ルソン島北西部の同州は南シナ海に面し、近年米中で緊張が激化する台湾とも距離が近い。南シナ海だけでなく台湾周辺にもにらみを利かせる戦略的配置となりそうだ。
日本が輸出を予定する防空警戒レーダーは固定式3基、移動式1基の計4基。残り3基は2025年までに移転が完了する予定。比の「北から南まで」分散配置し、比が設定する防空識別圏を広範囲でカバーする計画だ。(竹下友章)