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11月6日のまにら新聞から

比とイランの2国関係を聞く(上) 「良好な関係を継続すべき」 セビリャ・フィリピン大准教授インタビュー

[ 2157字|2022.11.6|社会 (society) ]

国交樹立後58年が経過したフィリピンと中東の大国イランとの2国間関係の歴史と現在の状況について学識者と在比イラン大使館の一等書記官にインタビューした内容を2回に分けて紹介する。

国交樹立後58年が経過したフィリピンと中東の大国イランとの2国間関係の歴史と現在の状況について学識者と在比イラン大使館の一等書記官にインタビューした内容を2回に分けて紹介する。

 国交樹立後58年が経過したフィリピンと中東の大国イランとの2国間関係の歴史と現在の状況について学識者と在比イラン大使館の一等書記官にインタビューした内容を2回に分けて紹介する。一回目は、フィリピン大准教授で、比における希少な中東専門家であるヘネリト・セビリャ准教授に、比と中東諸国の国際関係、比とイランとの二国間関係について話を聞いた。(聞き手はテラニかおり)

―中東と比の歴史はどういったものなのか。

 1970年代でも約200万人という多数の比人が仕事で中東に滞在していた。主に家事・手伝い、子どもたちの面倒を看る仕事に従事していた比人は、他のアジアからの出稼ぎ労働者に比べ、「健康的で幸福な生活」を送っていた方だ。比人と中東の人々は互いに相手に対し、良い認識を持ち合っていたといえる。76年にモロ民族解放戦線(MNLF)と比政府、およびイスラム会議機構(OIC)=現在のイスラム協力機構=の間で調印されたトリポリ協定は、中東との関係を確立する上で重要な役割を果たし、中東諸国から比政府への安価で信頼できる原油確保にも繋がった。総体として中東諸国と比との関係は良い状態を保ってきたといえる。

―イランと比の歴史も良好な関係から始まったのか。

 教授や留学生にも温かく接してくれるイランと比は「おもてなし精神」を共有し、イランは比との平和的な関係構築を常に望んできた。比にとっては石油や製造原料、イランは家事、教育、子どもの世話、またはフィリピン産果物を通じた利益が得られている。

 元々イランには多く比人が出稼ぎに行っており、比較的裕福な暮らしをしていたが、1979年のイラン革命後、イラン政府は、すべての外国人の国内での直接雇用を禁じた。

 当時国民の失業率が高く、自国民の雇用を増やすことにまず集中したかったことがその理由といえる。ただ、イラン国内の一部外国企業は「間接雇用」の形態で、フィリピンやその他のアジア諸国からの雇用は継続された。

 多くの中東諸国は雇用主が身元保証人として出稼ぎ労働者を直接管理する「カファラ制度」を実施してきたが、多くの批判を浴びており、現在は同制度自体の厳格な実施が見られなくなってきた国が多い。イランはその例外で、カファラ制度の継続している。ただ、同制度が生き続けている中東諸国も、外国人労働者の存在を歓迎し、支援を行う考えを表してきた。一方で、内政に緊急事態が生じた場合、中東諸国における外国人労働者の安全確保や適切な保護への懸念は依然存在している。 

―この良好な関係への米国による影響は。

 比の同盟国、特に米国は、イランと比との関係に大きな影響を与えている。米国が2006年に国連憲章の第7項に基づいて、イランにウランや核兵器に関わる濃縮活動を中止するよう制裁を科して以来、比は、イランとの関係継続にややためらいを抱いている。特に政治面では、比とイランは良好な関係の維持に苦労している。しかし、人的関係の強化が観光やビジネス面での関係向上に繋がり、両国の平和共存は可能だ。

 また、欧米のニュースやメディアからは、イランのイメージを下げるような発言も頻繁に耳にする。実際のイランとメディア発信で浮かび上がるイランとはやや異なる。イラン国民と「テロリスト」との関係やイランが良好な関係を持てない国々を敵視し、将来戦争を行うのではないか、との情報も見られる。イランと米国・欧米間の関係悪化に伴うものだ。

―解決策はあるのか。

 事実、イランは多文化共生を目指している。比国内でイランについて学ぶ機会が増えれば、両国間の関係はより強まるだろう。メディアには、より「楽観的」で「前向き」なイランについても発信して欲しい。外国人の受け入れによって、新しい発見、創造のイノベーションなどが生み出され、原動力となり、市民のみならず対外関係も成長していく。比政府が世に独自の情報を発信していけば、比のメディアもそれを国民に届けられる。正確な情報の提供からメディア自体も学びが可能となる。

 そうした情報的ギャップを打破するため、人々が自ら検索したり調べたり、実際の交流を図るなど、経験を積み上げることが解決策への鍵となる。比とイラン人のハーフが集うコミュニティーやイラン大使館の文化センターを通じた教育でも、理解の促進が可能だ。比は米国とイラン間の長年の緊張による影響を見極め、どの分野でイランと関係を結べるかについて、慎重な計画の上、自力で判断すべきだ。

 50年以上外交を継続してきた比とイランとの間には多くの類似点があり、今後もより多くの利点や利益が生み出される可能性がある。具体的にはイランによるミンダナオの和平プロセスへの貢献があり、比のキリスト教徒とイスラム教徒の関係を和平に導ける可能性も高いとみている。

 HENELITO SEVILLA 1976年生まれ。ミンダナオ国立大(マラウィ市)卒。テヘラン大で博士課程修了。イランに10年間滞在し、現地の比人コミュニティー代表も4年間務めた。2008年からフィリピン大アジアセンターに西アジアのコースを再開。2021年8月から同センター学科長。比イラン文化学会会長。

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