「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
29度-23度
両替レート
1万円=P3,730
$100=P5855

10月10日のまにら新聞から

「勇気ではなく義務だから」 マバサさん通夜に多くの弔問客

[ 2065字|2022.10.10|社会 (society) ]

各国から非難の声が巻き起こっている著名なラジオキャスター、ペルシバル・マバサさん殺害事件で、首都圏パラニャーケ市の葬儀場で通夜が開かれ、家族や弁護士らに話を聞いた

多くの弔問客が訪れたペルシバル・マバサさんの通夜の様子(上)/殺害されたペルシバル・マバサさんの弟で、自身もジャーナリストのロイ・マバサさん(下)=7日夜、首都圏パラニャーケ市のラ・フューネラリア・パスで岡田薫撮影

 日本大使館を含む国内外から容疑者逮捕を求める声やジャーナリスト殺害への非難が巻き起こっている著名なラジオキャスター、ペルシバル・マバサさん(63)の通夜が首都圏パラニャーケ市の葬儀場「ラ・フューネラリア・パス」で4〜8日にわたって執り行われた。ドゥテルテ前政権やマルコス現政権に対しても、ちゅうちょせず辛辣な批判を口にしてきたマバサさんの通夜には家族や親戚、友人やメディアに加え、異例ともいえる政府・警察関係者まで、連日多くが訪れた。7日午後10時半ごろにも100人以上の弔問客が詰めかけ、マバサさんの悲痛な死を悼んでいた。

 かつて全国タブロイド紙の編集者を経て2006年から弁護士となったベルテニ・カウシン弁護士は、主に仕事を通じて名誉毀損で訴えられたジャーナリストを擁護し続けてきた。同弁護士はまにら新聞に「マバサさんへの名誉毀損の訴えも2006年から、直近では22年8月のバランガイ(最小行政区)議長によるものまで、数えきれないほど担当してきた。いずれも勝訴しており、マバサさんが、いかに法の範囲内で、事実に即した報道を行ってきたプロフェッショナルであるかが分かる一例だ」と強調した。

 マバサさんの特徴として「コリー・アキノ、アロヨ、ノイノイ・アキノ、ドゥテルテに至る歴代の大統領を辛口で批判してきた。『事実を伝えることに勇気などいらない。義務だからだ』が口癖だった」という。殺害予告の有無を問うと「彼が抱える問題については常に把握している。守秘義務で本人亡き今も全てを話せないが、殺害予告はあった」と明かした。    ◇

 現在家族の中で捜査チームとの連絡やメディア担当を担うのは、英字紙ブレティン記者で弟のロイ・マバサさんだ。ロイさんは、「子どものうちの1人から3日の午後8〜9時の間に連絡を受けた。彼から『お父さんが撃たれた』ことを告げられ、ラスピニャス市に向かったが、兄と対面できたのは葬儀場の遺体安置所だった」と俯いた。「現時点で国家警察と国家捜査局、人権委員会の3つの機関が兄の事件の捜査に当たっており、今日(7日)は警察から銃撃犯について確証ある証拠について聞かされた。多くの監視カメラ確認など昼夜問わず捜査してくれている現状に家族として満足している」と感謝を口にした。

▽大統領の人権意識問う

 ロイさんは地方での発生傾向が高いこうした事件が「首都圏であった上、中間層から富裕層が住む地区で発生している点が過去の例と異なる」と述べた。アバロス内務自治相が弔問に訪れた際、「同様の事件が今後起こらない保証がほしい」と伝え、マルコス大統領にも6日、「大統領権限でできる限りの力を発揮し、ジャーナリスト殺害を永久的になくす努力」を求めるアピールを行ったという。その上でこの事件は「マルコス大統領が自らの人権意識について、そのイメージを変えるための踏み絵になる」とも呼び掛けた。

 ロイさんによると、1986年から現在までに国内でジャーナリスト196人が殺害された。イロイロ市では7日朝にラジオキャスターの男性が仕事後に路上で4人組に暴行されけがを負う事件も発生している。ロイさんは「兄はラジオ番組の中で、公職者の汚職追及というモットーの下、名指しした人物は膨大な数に上る。ジャーナリズム業界での35年間のキャリアで、彼の反骨の姿勢は一度もぶれなかった」とし「これは簡単な事件ではなく、きっと長い闘いとなるだろう」との見方も示した。

▽元シンガーの親日家

 妻のマリロー・マバサさん(64)によると、ペルシバルさんは10代の若い時から、6カ月ごとに帰国を繰り返す形で、バンドのギター兼シンガーとして日本各地のバーで働いていた。マリローさんもシンガーとして日本で働いた時期がある。

 家族そして個人でも日本へよく旅行していたペルシバルさんは、ラーメンが大好物で、料理を作るのが趣味だった。日本語も堪能だったという。ラジオ番組の収録は午後10〜11時であるため、生前最後の夕食時は家族と自宅にいたが、その日にマリローさんが作った料理が好きな肉料理ではなく、「苦手な魚を使ったおかずだったため食べなかった」。「明日は病院へ行って薬をもらおう」と話したのが最後になったと言葉を詰まらせた。

 マバサさんの番組を21年間聞き続け、非業の死に「居ても立ってもいられずマカティ市から1人で来た」というファンのミルナ・ディソンさん(67)は「事件を知ってショックを受けた。今日初めて通夜に参加し、明日も来るつもりだ。いつも寝る前に彼のラジオから多くの情報を得ていた。彼のことなら何でも分かる」とし、人柄について「優しくて、他人のことが考えられる人で、その話はいつも真実を伝えていた」と評価した。

 「ペルシー・ラピッド」という愛称で親しまれていたマバサさんは3日午後8時半ごろ、車でビレッジ内にあるラジオ局に向かう途中、後方から来たオートバイに乗った2人組に銃撃されて即死した。(岡田薫)

社会 (society)