1世紀前の邦人社会論じる 移民が撮影の映像や写真紹介
フィリピン研究会フォーラムで1920〜30年の日本人移民撮影映像について討論
第26回フィリピン研究会全国フォーラムで18日、日本人移民撮影の1920〜30年代のマニラやダバオのフィルム映像が、当時の写真資料とともに紹介された。50人を超える参加者たちは当時の在比日本人社会の貴重な映像・写真資料について活発に議論を交わした。映像はマニラ、ダバオ、セブで「大阪バザール」を経営していた松井清衛取締役支配人の子孫の大阪にある旧宅の蔵に保管されていたもので、2015年に見つかった。
リカルド・ホセ・フィリピン大教授はマニラの映像の中から1930年代のマニラ市イントラムロス門前を歩くワイシャツ姿の日本人ビジネスマンやネオンが輝く夜のビノンド地区などの映像・写真に注目。また、旧式の自動車が行き交う道路の前に「オクトーバーセール」のバナーを掲げた日系商店「大阪バザール」の映像について「米国統治下の首都圏マニラやセブ、ダバオに展開していた同店は、日本人の経営する商店で最大規模だった。販売される日本製の商品は、比人に対しても知名度が高く、多くの比人が買い求めた」「大阪バザールではカトル(蚊取り線香)が売られていた。比のカトルは日本から持ち込まれたものだった」と解説した。
ダバオの映像には真っ平らに整備された日本人街とみられる町の様子も映っている。映像の撮影者は松井清衛氏自身だった可能性が高い。
一方、早大のジャジャ・バリガ助教は「思い出─元ダバオ日本人校長服部龍造氏のアルバム」と題された私家本収録の貴重な写真史料を紹介。当時のダバオ市日本人尋常小学校やダバオ日本人会本部を写真で紹介した。
その上で「日本人からの資料でも、当時のフィリピン人の様子を知ることができるが、それだけでは歴史は日本人側からのものになってしまう」とも指摘、日本人側の映像記録を比の歴史学の発展にどう活用すべきか論じた。
静岡県立大の米野みちよ教授は、開催の目的について「こうした資料は、一般の目に触れられずに、資料館に保管されたままになりがちで、多くの人に見てもらうためのデータベースの構築と公開を目指している」と語った。(岡田薫、竹下友章)