両親の隣で永遠の眠りに ノイノイ・アキノ前大統領を納骨 ミサ、沿道、墓地に約千人
腎臓疾患で死去したノイノイ・アキノ前大統領の葬儀ミサがアテネオ大で行われ、パラニャーケ市のマニラ・メモリアル・パークにある両親の墓の隣に納骨された
腎臓疾患で24日に61歳で死去したベニグノ(愛称ノイノイ)アキノ前大統領の葬儀ミサが26日午前10時、ケソン市のアテネオ大学構内にあるカトリック教会で行われた。約300人が参列したミサの後、アキノ前大統領の遺灰が納められた骨壺は車列でパラニャーケ市のマニラ・メモリアル・パークまで1時間ほどかけて移送され、コラソン・アキノ元大統領ら両親の眠る墓地のすぐ隣の一画に納められた。
27日付英字紙スターによると、26日の葬儀ミサではロブレド副大統領のほか、アキノ前政権で閣僚を務めたプリシマ前財務相やアルメンドラス前官房長官など前政権幹部らも集まった。マー・ロハス元内務自治相は「まだ心の整理ができていない」とした上で、警察車両の先導やサイレン使用による有力政治家らの車列の優先走行を禁止した「ワンワン禁止令」など権力の濫用を戒めた前大統領の政策について触れ、「国益と国民の福祉を優先するという彼の価値観から出たもので、その高い道徳心は父のベニグノ・アキノ元上院議員と母のコラソン元大統領から受け継ぎ、養われたものだ」と前大統領をしのんだ。
前大統領の遺灰を積み込んだ車列は、アテネオ大から消防庁の消防隊員らによる放水で見送られ、幹線道路のC5や南ルソン高速道などを経てマニラ・メモリアル・パークまで運ばれたが、途中の沿道で多数の市民が最後に一目みようと集まった。しかし、コロナ禍による防疫措置のため、百台ほどの車両からなる葬列のスピードは速く、2009年8月に死去したコラソン・アキノ元大統領の葬列が目的地まで9時間かかったのとは対照的に1時間強ほどで墓地に到着した。
国家警察によると、マニラ・メモリアル・パークに葬列が到着した際、黒色やアキノ家のシンボルカラーの黄色い服やリボンを身に着けた支持者ら約500人ほどが待ち受けていた。前大統領の遺灰が納骨される墓地周辺では空軍が白や黄色の花びらをヘリコプターから落とし、儀仗兵が21発の礼砲を行い、ソベハナ国軍参謀総長がフィリピン国旗を遺族代表の長姉、バルシー・アキノ・クルスさんに手渡した。国旗と一緒に前大統領の骨壺が墓地に納められた際には、全国の国軍基地で前最高司令官だったノイノイ氏に対する敬意を示すため、礼砲が一斉に鳴り響いた。
国軍は前大統領の死去に伴い、6月25日から1カ月、喪に服すと発表した。幹部や兵士ら全員が喪章を左袖に1カ月間着けるほか、全国の基地における国旗を7月4日まで半旗にして掲げるという。(澤田公伸)