私が誘拐された時の思い出 取材経験70年の記者
私は70年ほど記者をしている。キリノ大統領から現在の政権まで取材してきた。その間に多くの体験をしたが、最も忘れられないものはフィリピン・ヘラルド紙の編集委員時代に中央銀行を取材した時のものだ。ある日、旧中央銀行本店に行った時、1人の幹部が金融政策委員会の何人かの委員が違法な取引をしているとリークしたのだ。取材を開始すると7人いる委員のうち3人が違法に米ドルを海外から入手し、自分の事業につぎ込んでいる事実をつかんだ。3人はマニラ証券取引所ともつながっていた。
私の記事はヘラルド紙の一面を飾り、上院議会で聴聞会も開かれた。実名報道だったので委員3人も上院に召喚された。この報道はマグサイサイ政権の2年目に起きており、大統領も当該委員らに反論書の提出を命じた。
そしてある夕方、帰宅しようと事務所の玄関を出た時、2人の男が私の両脇にピタッと寄ってきた。2人の手には拳銃があった。車に乗せられ、マニラ市内にあったホテルに連れて行かれた。ある部屋に案内されると、大柄な男がいた。彼は私に「君は若い勇敢な男だ。何か悪いことが君に起きるのは見たくないなあ」と言った。私は「自分が何をしたのでしょう」と尋ねた。彼は当時新聞で写真入り報道されていたある殺人事件の容疑者に似ていた。彼は金融政策委員の友人で、後で委員の声明文書を渡すので私にその委員の立場を擁護する記事を書けという。私は「了解です」と同意した。
翌朝、解放された私は兄を通じてマグサイサイ大統領に面会した。大統領は私を見るなり問題の委員らを罷免するので、誰かよい人材を推薦してほしいと言う。私が信頼できる3人の名前を挙げると大統領はうなずいた。大統領は私と家族に半年以上にわたり国軍兵士4人による身辺警備を付けてくれたが、この国で記者をするのは命がけだということがその時身に染みた。(26日・スタンダード、エミル・フラド)