旧海軍潜水艦の慰霊碑除幕 豪北部ダーウィンで式典
第2次大戦中の1942年にオーストラリア北部沖で攻撃され、沈没した旧日本海軍の潜水艦「伊124」の戦死者を慰霊する銘板が完成し、北部特別地域(準州)ダーウィンの議事堂でこのほど、交流団体「北部準州豪日協会」による除幕式が行われ、遺族らが参加した。
茨城県常総市出身の大滝良平2等機関兵曹=当時(27)=の孫、高志さん(51)は「75年の時を経て慰霊に訪れることができ、心より感謝する。日本の繁栄と平和は尊い犠牲のたまもので、日豪友好の絆を強めることが何よりの供養になる」とあいさつ。同協会のブレスナン会長は「銘板が遺族の慰めとなり、旧日本軍によるダーウィン空爆の被害者との、和解の証しになれば」と語った。
草賀純男駐オーストラリア大使や準州のガナー首席大臣も出席した。
潜水艦は今も沈んだまま。銘板は高さ40センチ、幅60センチで、沈んだ潜水艦の画像などが配され、今後、沈没地点を望む海岸に設置される。井上寅一兵曹長=当時(27)=の遺族、千葉七郎さん(63)=福井県敦賀市=は「叔父が眠っている海だと思うと、海の青さがさらに深く見えた」と話した。
伊124は42年1月20日、ダーウィン沖約80キロでオーストラリア軍の攻撃を受けて沈没し、乗組員80人が死亡。小林麻子副会長によると、銘板設置は自衛隊との交流から持ち上がり、準州政府と国防省も補助金を出した。旧日本軍は42年2月19日にダーウィンを空襲し240人以上が死亡した。
19日には慰霊式が行われ、出席したターンブル首相は「空襲は国への初めての直接攻撃であり、最悪の恐怖だった。国を救った兵士と市民の犠牲を忘れることはない」とあいさつした。空襲が始まった午前9時58分には警報のサイレンが鳴らされた。(ダーウィン共同)