ドゥテルテ氏台頭 大統領選
「ドゥテルテ現象」を理解するために、自分の理念やドゥテルテ氏に対する不信感を捨てる必要はない。長いフィリピンの歴史において彼は「異形」である。機知に富むからかい文句や冗談のおかげで、彼の野蛮な側面は緩和されているように見える。時に脅迫し、時に道化となる。彼が持つ多彩な「顔」は人々を引き付けている。
貧困層だけではない。貧困への転落に対する恐れを抱く中間層、富を飽くことなく求める富裕層の間でも、ドゥテルテ氏への支持が高まっている。彼らは変化と改革を強く望んでいる。この中間・富裕層の熱気が絶え間ない「津波」となり、この国に押し寄せている。
ローマ法王や殺害されたオーストラリア人女性への暴言問題があったにもかかわらず、彼の人気は衰えを知らない。「ダーティハリー」のような、悪漢に対して超法規的に制裁を加える、泥臭く、男らしいイメージがある。
人間には、物分かりのいい仮面の下に、粗野で、無法で、道徳に欠けた側面が隠されている。フロイトはそのような制御不能な深層心理についての研究の先駆者だ。私たちは皆、汚職に手を染める政治家や抑圧者にはらわたが煮えくりかえっている。だが、凶悪な心理を表に出すことはない。
一方、ドゥテルテ氏は心理と行動が一致している。彼はダバオ市で犯罪者への超法規的殺人を繰り返してきた。ズボンが「汚れる」ほど、至近距離で犯罪者を射殺したことも認めた。
多くの国民は彼がこの国が抱える問題を解決する日を待ち望んでいる。だが、彼は容易に最悪の「悪夢」、偽りの「救世主」へと変貌する可能性がある。恐怖と暴力による統治。これが私たちが待ち望んでいるものだろうか。(4日・インクワイアラー、ナルシソ・レイエスJr氏)