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新年企画4

[ 1632字|2016.1.5|社会 (society) ]

無宿女性画家のマトゥアンさん「夢諦めず描き続ける」

人の顔をモチーフにした自作の絵を見せ、「希望」を表すと説明するマトゥアンさん

 人々が忙しく行き交う首都圏マカティ市ブエンディア通りで、12色のクレヨンを使って画用紙に絵を描き、道端に並べてそれらを売る「無宿女性画家」がいる。「描く絵の一枚一枚が自分の人生と経験を表す」と語るジャラニー・マトゥアンさん(45)のアトリエは「路上」だ。絵を描くだけでなく、その絵を展示し、販売する場所も、そして彼女が毎晩床につくのも「路上」。「絵を通して、人々に自身の経験を伝え、路上で描き、販売する姿を通して貧しい人々を勇気づけたい」とマトゥアンさんは話す。

 ビサヤ地方イロイロ州ハロ町で生まれ、両親に捨てられたマトゥアンさんは祖父母に育てられた。幼少期から絵を描くことが好きだったが、首都圏マニラ市に住む家族に養子として入った後は、義理の母親のがんの治療費を稼ぐため、毎日マニラ市やマカティ市内で物乞いをしていたという。義理の母親が他界してからも、日銭を稼ぐ生活に余裕はなく、絵を描くことへの情熱も失っていた。

 そんな状況下で、ごみ収集をしていたある日、ごみの中から3色のクレヨンと短くなって捨てられた黄色の色鉛筆を見つけた。それが、マトゥアンさんが再び絵を描き始めたきっかけだった。ごみの中からリサイクル可能な物を集めて換金し、画用紙を買って創作活動を始めた。

 毎日ごみ収集や物乞いをする傍ら、絵を描き続け、次第にそれらを路上で売るようになった。それが2015年4月、ブエンディア通りを歩いていた比人アーティストの目にとまり、話はとんとん拍子に進んだ。そして8月、マトゥアンさんは夢にも考えなかった個展を開くことになった。同月28日、「路上の夢」と名付けられ、首都圏マカティ市のギャラリーで開かれたマトゥアンさんの個展には、「無宿女性画家」の絵を一目見ようと約1万人が押し掛け、展示していた絵は完売した。それまで日の目を見ないまま、路上で書き続けていたマトゥアンさんは、多くの来場客の励ましの言葉にとても勇気づけられたという。

 15年後半、マトゥアンさんは「無宿女性画家」のシンデレラストーリーとして、新聞やテレビなど多くの比メディアに取り上げられた。個展を開き有名になった一方で、まだまだ生活は苦しく路上生活の日々が続いている。しかし、たとえ貧しい生活であっても絵を描き続けることに生きる意味を見いだしている。

 マトゥアンさんは、ブエンディア通りで絵を売り、日が暮れるとロハス大通りまで歩いて帰って、マニラ湾沿いで床に就く。わざわざ海のそばまで来て眠るのは、故郷イロイロの海を思い出すからだという。路上で絵を売り、夕方にロハス通りに帰った後、マニラ湾に落ちる夕日を見ながら、生きる意味について考える毎日という。

 「路上生活の中でのささやかな幸せは、道端に咲く花や雨上がりにかかる虹」と話すマトゥアンさんの絵のモチーフには、草木や虹、鳥などが多く取り入れられている。一方で、「涙を流す女性の横顔」や「物憂げな後ろ姿を見せる人魚」など女性をテーマにした絵も多い。

 そして何度も登場するのはレイプ被害者の女性だ。彼女自身、首都圏に移住後、レイプ被害に遭った。つらい経験を、目に涙を浮かべてぽつりぽつりと話した。「思い出したくないが、絵を通して被害者の心の傷を代弁したい」││レイプ被害者の女性を描き続ける理由をそう語った。

 路上での生活や、絵の創作、販売は決して安全なものとは言えず、暴言を浴びせかけられたり、時には暴力を受けることもあるという。それでも絵を描くことを諦めないのは、「絵の力」を信じているから。

 昨年8月の個展に続き、2月に再び首都圏で個展を行う予定。「絵を通して人々に希望を与える」という夢のほかに、自立したあかつきには、自分と同じ境遇にいるストリートチルドレンや、路上で生活する高齢者の支援をすることが、今の目標だという。今日もマトゥアンさんは、路上のアトリエで絵を描き続ける。(冨田すみれ子、終わり)

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