選挙戦の厄介者 次期選挙
来年の次期選挙に向けた立候補者の届け出が始まった。よく見知った人物も、あまり知られない人物も、誰なのかまったく分からない人物も皆、同じように「平等の権利」を主張し、立候補する。真剣さに欠ける「厄介者」(泡まつ候補)がいるのも事実だ。近年、誠実な立候補者とそうでない者を見分けるのが難しくなってきた。
「厄介」という英単語の語源を調べてみると、以前は「害」とか「けが」を表していたが、次第に「厄介」という意味に変化したという。この言葉は世の中に害をもたらす立候補者にぴったりの言葉ではないだろうか。大統領選に立候補したビナイ副大統領などの政治家や官僚はいわゆる「神の哀れみの党」から出馬した厄介者である。
選挙における厄介者をどのように定義すべきだろうか。中央選管は「比全土で選挙運動を行うことができることを証明する」のが大統領選への立候補条件とした。選挙へのからかい的行為や、混乱を招く目的で立候補する人物には、出馬資格は与えられない。
リストから立候補者を削除する作業の必要性は十分に理解する。ただ「ふるい」をかけることですべての厄介者を落とせるとは思わない。全土で選挙運動を行うことを証明するための基準とは何か。それは決してお金ではない。貧しいからといって権利が与えられないのだろうか。遊説する体力がなかったり、高齢であることも立候補者リスト削除の理由になるのか。全国的な組織や支援団体の後ろ盾を指すのか。
政界から貴族社会を排除することに意識を傾ける前に、リストの人物をじっくりと見極めなければならない。将来に向け今、種をまこう。2022年の大統領選にもつながるはずだ。(15日・インクワイアラー、ランディ・ダビッド氏)