追跡睡眠薬強盗2 記憶頼りに足取りたどる 韓国人女性も被害か
フィリピンで記者稼業を始めて約20年。睡眠薬強盗被害者の足取りをたどり、犯行現場の特定を試みたことが何度かある。しかし、被害者の多くは首都圏の地理に不案内な旅行者。さらに、強力な薬の効果で被害当時の記憶は一様に曖昧。残念ながら現場にたどり着けたことはなかったが、8月中旬、「現場の状況をよく覚えている」という日本人被害者に出合い、少なくとも6人で構成される犯人グループに肉薄する機会を得た。
■事件から5日後
追跡取材を行ったのは事件から5日後の8月20日。起点は、犯人らが被害者に最初に接触した首都圏マカティ市マカティ、ジュピター両通りの交差点付近。当時の時刻、午後1時前に合わせて、被害者を乗せた社用車を走らせ始めた。
最初の目的地はケソン市クバオ地区にあるファストフード店。マカティ、アヤラ、エドサ各通りを経由して同地区の商業施設「ファーマーズ・プラザ」に入り、被害者と犯人らが最初に食事を取った店を探し当てた。被害者は事件4日前に初来比したばかりだったが、衛星利用測位システム(GPS)機能を備えたスマホのオンラインマップで自分の場所を逐次確認しており、店探しは比較的容易だった。
被害者らの座った席は比較的奥まった場所で、店員は当時のことを覚えていた。「確か60歳近い男女が一緒だった…?…?」などと事件当日の記憶を手繰りながら、「翌日か翌々日の昼すぎ、同じグループが再びやってきた。若い韓国人とみられる女性を連れていた。年頃は20歳前後だったと思う」と続けた。
この女性も睡眠薬強盗の被害に遭ったとみられ、犯人グループが外国人狙いの犯行を繰り返していることを思わせる証言だった。すかさず、店の責任者に事情を説明して名刺を渡し、店内4カ所に設置されている監視カメラの録画記録を見せてほしいと依頼、後日あらためて連絡を取ることにした。
■出口はどこか
次に向かったのは、商業施設から徒歩10分程度のエドサ通り沿いにあるバス乗降場。被害者の記憶では、バス会社「ファイブスター」の便を使ったようだった。同社の路線はいずれも首都圏とパンパンガ、タルラック、パンガシナン各州などルソン地方中部を結んでおり、各便は必ず北ルソン高速道(NLEX)を通る。さらに、被害者本人が事件当時、首都圏北方約90キロにあるパンパンガ州アンヘレス市方面へ向かっていることをGPSで確認しており、社用車をエドサ通り、同高速道経由でルソン地方中部へ向かわせた。
ここで解決しなければならない問題が一つあった。被害者が睡眠薬入りのビールを飲まされたビアハウスは「高速道を出て、アンヘレス市へ向かう道路沿い。バスを降りてちょっと歩いた場所」。ところが、同市街に通じる高速道出口は「アンヘレス」と「ダウ」の2カ所ある。土地に不案内な被害者に聞いても、どちらかはっきりしない。日没は約2時間後に迫っており、手間取ると犯行現場の特定が難しくなる。迅速な判断が必要だった。
■鉢合わせの懸念
まず社用車を走らせたのはアンヘレス出口から市街へ向かう道。10〜15分ほど走っても、すれ違うバスはなく、トライシクル運転手ら複数の地元住民に聞くと「ファイブスターのバスは通らない」。残る選択肢はダウ出口。直ちに社用車を高速道に戻し、約2キロ先の同出口へ向かった。
ダウ出口を出て直線道路を2キロほど走ると、アンヘレス市に隣接するパンパンガ州マバラカット市ダウに出る。ダウには、大きなバスターミナルがあり、ファイブスター社のバスもここに立ち寄る。周辺には飲み屋が複数あるが、記憶と重なるような場所の有無を聞いても、やはり被害者からはっきりした返事がない。ターミナル近くに車を止め、次の策を思案していたところ、被害者が「ちょっと付近を歩いてみます」と言い残して車を出た。
待つこと10分、15分…?…?。被害者が帰ってこない。「しまった。もしかしたら、犯人グループと鉢合わせして…?…?」などと良からぬ事を考えても後の祭り。日没は間近に迫り、大粒の雨も落ち始めた。たまらず車を出て、人通りと車列に目をこらしていると、100メートルほど向こうから被害者が飛び跳ねるようにして戻ってきた。
大きく息を弾ませながら開口一番「見つけました!」。聞けば、睡眠薬を盛られたビアハウスが分かったという。(続く)