出馬は負の遺産 次期大統領選
マルコス上院議員はこのほど、2016年次期大統領選に出馬する意向を明らかにした。この2日後、「建国の父」と言われ、マルコス元大統領と同時代を生き抜いたシンガポールのリー・クアンユー元首相が死去した。
リー政権も、マルコス政権と同様に独裁的だったが、両者の間には埋めがたい溝があった。リー元首相は質実剛健で誠実さを兼ね備え、効率性を追求した。一方のマルコス一家は国が深刻な貧困に直面しているさなか、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の暮らしを送った。この結果、シンガポールは企業誘致に成功し、能力主義の社会へ進化し、域内の経済大国へ成長した。しかし、マルコス政権は縁故主義を助長、寡頭体制を築いた。
シンガポールが東南アジアを代表する先進国に認められた時、マルコス政権下の比は衰退し、アキノ元上院議員暗殺では国際社会からあざ笑われた。
リー元首相の回顧録を抜粋する。
「マルコス元大統領から派遣された閣僚に5億ドルの融資を要請されたが、私は閣僚の目を見て、融資が返済されることは決してないと伝えた」
マルコス議員はこの回顧録に目を通していない。なぜなら4年前、「父がエドサ革命(アキノ政変)で失脚しなかったら、比はもう一つのシンガポールになっていただろう」と失笑を買う発言をしたからだ。マルコス家に罰が下されない体質、それにもまして悪びれないあの無知な姿勢は国を再び崩壊へといざなう。
「20年以上政権を維持した指導者を英雄墓地に埋葬するか否かの議論が未だに続いている。多くの略奪品が発見されているのに、一家は政治参加を許されている。そんな国は比だけだ」。比の寛容な文化に戸惑うリー元首相のそんな声がこだまする。(25日・インクワイアラー)