犠牲者は常に一般市民 戦艦武蔵発見
米国の資産家、ポール・アレン氏が日本の戦艦武蔵とみられる沈没船をシブヤン海で発見したと発表した。戦争の苦しみを経験していない若い世代には大したニュースではないかもしれない。しかし、戦争で日本の占領を体験した世代は、武蔵が日本海軍の象徴であり、太平洋戦争初期の日本軍が優位だった頃、海軍の頂点に君臨していたことを知っているはずだ。
1930年代、世界最大級の戦艦大和と武蔵の建造は始まった。両戦艦は日本海軍が米海軍と対等になる狙いで造られ、満載排水量は7万トン超、18・1インチ(46センチ)主砲が取り付けられた。
武蔵は、山本五十六海軍大将指揮による連合艦隊の旗艦になった。山本は太平洋戦争突入前まで米国との戦争に反対していたが、連合艦隊司令官として戦闘機による速攻を軸にした戦略を展開、真珠湾攻撃を成功に導いた。43年に戦死。山本の遺灰は戦艦武蔵によって日本に運ばれた。武蔵がレイテ沖海戦で沈んだのは山本が亡くなった翌年だった。
先月、首都圏各地でマニラ市街戦70周年の記念行事が行われた。市街戦は45年2月3日から3月3日の1カ月間続いた。しかし、多くの比人はその同時期に東京が執拗(しつよう)な空襲で破壊されていたことを知らない。
45年3月9日の東京大空襲では、伝統的な木造の民家が密集する民間人の居住地域が狙われ、単発の空襲としては第2次世界大戦中、最大規模の犠牲者が出た。
いかなる戦争でも最も苦しむのは軍人ではない一般市民だ。とにかく、私たちは係争を抱えた時、武力を行使することなく解決する方法を模索しなければならない。結局、最後に苦しむのは一般市民だからだ。(16日・インクワイアラー、ラモン・ファロラン氏)