学校で意義を教えよう エドサ革命記念日
フィリピンは休日が多すぎる。もっと大きな問題はその休日の意義が失われていることだ。かつての「バタアン・デー」は「勇者の日」となり本来の意味が伝わりにくい。イスラム教徒の祝祭日を休日にするのは分かるが、中国の旧正月まで祝日にするのは中国系の私でも歓迎できない。休日になると商業施設周辺の道路が大渋滞するだけで、人々は都市の喧噪(けんそう)を避けるのに一生懸命だ。
2月25日のエドサ革命記念日も不思議な祝日だ。29年前に起きた「ピープルパワー」革命とも言われる政変の日だが、毎年200万人の子どもが生まれるこの国ではもう大多数がその時代のことを知らない。昨年からこの日は学校だけが休日となり、親の仕事は休みではない。家族がいっしょにすごすという休日の意義もない。
エドサ革命の日は学校を休日にするよりも、その意義を学校でじっくりと教える日にした方が良いと思う。この出来事に関する記憶が多くの人の記憶から薄れている中、単に反マルコス独裁政権の運動というイメージしか残っていないのは問題である。当時の市民たちがどのような夢を持ってこの反体制運動に加わったのか、そのことも人々の記憶に取り戻す必要がある。
なぜ、人々は路上に繰り出したのか。単に抽象的な自由を叫んでいただけではないはずだ。当時のインフレ率が50%を超えていたことや、国内総生産(GDP)の伸び率がマイナス成長に落ち込んでいたことも要因だったはずだ。マルコス政権期に始まった海外就労者(OFW)という労働力の海外流出の問題は今も続いている。首都圏で起きた政変だが、地方ではどうだったのか。当時の語り部を教室に呼び、考える日にすればきっと多くの教訓を得られるだろう。(2月25日・インクワイアラー、マイケル・タン氏)