実像と世評の落差 フランシスコ法王
「進歩的」と評されることの多いローマ法王フランシスコ。私の友人らは「なぜ、お前はフランシスコのファンではないのか」と不思議に思っているようだが、答えは簡単。法王は進歩的ではないからだ。
理由を説明するため、ドミニカ共和国で起きた性的虐待事件を紹介しよう。被害者は13歳の少年。てんかんの薬をもらうため、教会を訪れたところ、薬と引き換えに大司教から4年間にわたって、性的行為を強要され続けたという。警察の捜査では、大司教のラップトップ型コンピューターから、少年に性的虐待を加えている際の動画や幼児ポルノの画像約1万枚が見つかった。
2013年8月、警察が内偵を進めていることを知った法王フランシスコは、ひそかに大司教をバチカンへ呼び戻した。容疑者の大司教がローマ法王庁大使だったことが公表されたのは翌9月。しかし、大使は既にバチカンで法王の保護下に置かれ、同国の捜査当局にとっては「後の祭り」となった。1年後の14年9月、大司教はバチカンで逮捕されたが、ドミニカ政府への身柄引き渡しは実現していない。
法王フランシスコが、性的虐待者であった聖職者を救おうとしたケースはほかにもある。アルゼンチンの枢機卿だった頃、捜査対象になった100人以上の聖職者を放置しただけでなく、被害者証言の信ぴょう性を低下させるような行動を取ったという。
今回の法王のフィリピン訪問では「進歩的な法王が教会を変えてくれる」と喜んだ進歩的カトリック教徒が少なくなかったことだろう。しかし、ドミニカなどで起きた事件を知れば、実像と世評の間に横たわる淵の深さに気付くはずだ。法王もやはり「カトリック」でしかない。(19日・インクワイアラー、レッド・タニ氏)