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6月9日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 749字|2014.6.9|社会 (society)|ハロハロ ]

 米俳優エフレム・ジンバリストが、カリフォルニア州の太平洋を望む国道1号線沿いの美しい町ソルバングで5月、95歳で死去した。彼の死を英字紙の片隅で見つけ、感慨深かった。けっして目立つ存在ではなかったが、なかなか味のある往年のハリウッド・スターで、当時の米国のテレビで人気だったようだ。日本は60年代半ば、白黒テレビの時代だった。誘拐や殺人などの難事件を解決に導いていく連邦捜査局(FBI)の「アースキン捜査官」の役が決まっており、日本でも一部放映された。

 米国はウォーターゲート事件発覚の前で、アメリカン・ドリームとは裏腹の、「影の世界」があった時代だった。ジンバリストはその時代性を見事に演じることのできる「個性」を漂わせていた。米国が我々庶民にまだ遠かった日本で、テレビや映画を通じて感じることのできるあの「暗さ」は魅力でもあった。父はロシア系のユダヤ人の音楽家、母はルーマニアのユダヤ人のソプラノ歌手と後で知った。ジンバリストのち密で洗練されたせりふ。派手なはずのFBI捜査官にしては、どこか陰鬱で繊細な眼差し。やはり、持って生まれた血のなすところであったのかと思う。

 FBIは密行のいわくつき捜査官庁とされていた。長く君臨したフーバー長官はJFKやニクソンなど8代の大統領につかえ、大統領をも盗聴の対象にした。テレビシリーズでFBI捜査官を務めたが、リベラルなジンバリストとフーバー長官は対照的で、仲は良くなかったと英字紙は伝えている。FBI物の撮影にはFBIの許可が欠かせないが、フーバー長官はOKを出し渋った。しかし、誤解がとけると親しい友になったという。ジンバリストは殉職したFBI職員の子弟への支援活動を続け、「名誉FBI捜査官」のバッジを進呈されていた。(実)

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