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11月4日のまにら新聞から

日系人支援

[ 1367字|2013.11.4|社会 (society) ]

民間団体、身元不明の日系3世を対象にした就籍プロジェクトに年内にも着手へ

 太平洋戦争後、フィリピンに取り残された残留日本人(日系2世)を支援する比日系人リーガルサポートセンター(河合弘之理事長、PNLSC、東京都新宿区)が、年内にも新たな就籍プロジェクトに着手する。対象は、戦前・戦中に渡比した日本人移民の孫に当たる日系3世で、親の2世が身元未判明、日本国籍未確認のまま死亡したケース。死亡の場合、2世の就籍申立はできず、3世も日本国籍や定住ビザ取得の道を絶たれていた。新プロジェクトでは、これまで法的支援が困難だった身元未判明の3世らに光を当てる。

 新プロジェクトは、3日午前、首都圏マニラ市内のホテルで開かれた比日系人会連合会(イネス・マリャリ会長)との会合で、PNLSC理事の青木秀茂弁護士が説明した。

 対象となる3世の条件は①日本国内の本籍地が分からず、身元未判明のまま親の2世が死亡②婚姻証明書などにより、1世と比人の婚姻関係証明が可能③2世の出生証明書の原本が現存④日本側の国籍法改正の関係で、3世本人が1984年以前に出生し、かつ父親が2世⑤本人が就籍による日本国籍取得を希望︱︱など。

 今後、PNLSCが以前に作成した2世のデータベースを基に、これらの条件に当てはまる3世を探し出し、就籍申立へ向けた準備に取りかかる。身元未判明のまま死亡したり、行方不明になった2世は約500人いるため、新プロジェクトの支援対象となる3世は数百人規模になる見通しだ。

 就籍は、戸籍がなかったり、その所在が分からない日本人を対象に、新たに本籍を設定して戸籍に名前を記載する手続き。

 2世の就籍は、1世の本籍地が分からない約300人を対象に、PNLSCが2004年に始めた。これまでに175人が東京家裁に申し立てを行い、うち就籍許可の出た101人の子(3世)と孫(4世)には、日本国籍や定住ビザ取得の道が開けた。

 一方で、就籍申立後や申し立て準備中に、22人の2世が亡くなった。就籍は生存者だけが対象で、これら2世の子や孫は法的救済の対象から外れてきた。このため、比日系人会連合会からは「3世を対象にした就籍の支援を」との声が上がり、PNLSC側が要望に応えることとなった。

 日系2世は、戦前・戦中に渡比した日本人の子。日本人の父親が戦死したり、日本へ強制送還されたため、戦後は比人の母親らとともに、反日感情の渦巻く比に取り残された。「敵国人」に対する迫害を避けるため、名前を変えたり、日本人であることを証明する書類、写真を処分した人が多い。さらに、財産没収や差別により、比社会の底辺で生きることを余儀なくされ、2世の経済的困窮は3、4世の人生にも暗い影を落としてきた。

 そんな2世らが「われわれは日系人」と声を上げ始めたのは、反日感情が和らいだ1980年代以降。これに対し、日本政府は「2世の大部分は(日系人としての)身分を証明できない」として、2世の人数さえ把握してこなかったが、2世らが陳情を繰り返した結果、戦後半世紀を経た1995年に初めて全国調査を実施し、2世約3千人の生存を確認した。うち約900人は現在も、1世の本籍地、日本国内の身元が分からないままで、死亡者や行方不明らを除いた約300人が就籍による救済対象になっている。(酒井善彦)

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