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1月16日のまにら新聞から

ブラックナザレ

[ 756字|2012.1.16|社会 (society)|新聞論調 ]

原物と複製のキリスト像

 毎年恒例のブラックナザレの行進では、膨大な数の信者がキリスト像を運ぶ。今年の参加者は史上最多となり、始めから終わりまで22時間もかかった。昨年は12時間だった。

 マニラは1516年〜1815年の間、メキシコを通じスペインに統治されてきた。ガレオン貿易が盛んで、マニラを経由してアジア諸国の高価な物品が取引された。メキシコからは銀製品が運び込まれた。

 無名のメキシコ人大工が彫ったキリスト像は、ガレオン貿易により、メキシコのアカプルコから運ばれた。言い伝えでは、キリスト像は渡航中に火災に見舞われ焼け焦げたという。

 運ばれたキリスト像は、もともと2体あった。一つはマニラ市イントラムロスに移された後、第二次世界大戦中の1945年2月、爆撃を受け破壊された。もう1体は、キアポ教会に移され難をまぬがれた。世の中にはこの2体を混同し誤った認識が散見される。

 同教会は、歴史あるキリスト像を保存し、ブラックナザレの伝統を守るため、彫像のレプリカを作る決断をした。1998年にはレプリカが初めて使用された。現在、行進で使われているのはこのレプリカであり、原物のキリスト像は同教会内に安置されている。

 いずれにしてもブラックナザレの彫像は、同教会の炎上(1791年)、大地震(1863年)、第二次世界大戦時も生き延びた。

 このキリスト像がまとっている衣が、なぜ栗色なのかと聞かれるが、答えは簡単ではない。西欧の教会で典礼に用いられる色彩は4世紀からの変遷がある。12世紀までに、イノセント3世が決めた5色が用いられるようになった。薄紫、白、黒、赤、緑である。赤はキリストの血を意味し、栗色は赤に近いため、ブラックナザレで用いられるのだろう。(13日、ブレティン、フロロ・メルセーニ氏)

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