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4月16日のまにら新聞から

国立公文書館

[ 1374字|2006.4.16|社会 (society)|名所探訪 ]

発掘進まぬ「宝の山」

 マニラ市リサール公園の一角にある国立公文書館。その閲覧室でケソン市在住の実業家、ミゲル・パテルノさん(43)は、スペイン植民地時代に作成された古文書に見入っていた。

 記述内容はスペイン統治下で作成された商取引記録。約二千人に及ぶ直系先祖をたどる調査を続ける中、公文書館で眠っていたパテルノ家ゆかりの古文書約三百枚を見つけたという。

 パテルノ家の始祖は十七世紀に中国本土から比へ移民し、スペイン風に改名したホセ・モロンという人物。比革命の最高指導者、アギナルド初代大統領代理として、一八九七年八月にスペイン植民地政府と停戦協定を結んだペドロ・パテルノはモロンの子孫、パテルノさんの先祖にあたる。

 古文書の作成時期は、ペドロ・パテルノが比史に名を刻む約百年前、十八世紀から十九世紀初頭にかけて。パテルノさんは「古文書にはマニラ市キアポで商売をしていた先祖が登場する。彼らが当時、どのような物を食べ、どのような風景を見ていたのかを知りたい」と仕事の合間を縫って閲覧室に通い詰めている。

 公文書館所蔵の文書は七千六百八十八万七千四百枚。うちスペイン植民地下(一五六五︱一八九八年)の古文書が二割弱の約千三百万枚を占める。最古の文書は一五五〇年代にスペイン本国から届いた命令書などで、植民統治以前の歴史は文書の形では残っていない。日本関連では、太平洋戦争終結直後、日本人戦犯を裁くために集められた比人被害者の証言集「日本の戦争犯罪」が保管されている。

 パテルノさんと机を並べて十九世紀の税制を調査していたフィリピン大史学部のアルマ・バメロ教授によると、全文書のうち索引化されているのは五%程度。「研究者にとって公文書館は宝の山。ただ、宝は山の中に眠ったまま。山を掘るには、古文書を読みこなせる多数の人材と予算、そして膨大な時間が必要だが、政府の予算不足で文書の整理はなかなか進まない」と同教授は嘆く。

 国会審議中の二〇〇六年政府予算案で、公文書管理局の予算額は四千八百三十万ペソ。財政改革のあおりを受け、対前年比で一一%も減額される見通しだ。しかも、人件費や光熱費、維持費など組織・施設維持に必要な義務的経費の割合が予算全体の九八%弱を占め、「マイクロフィルム・電子文書化に必要な設備の整備に手が回らない状態」(ダルシオ同局管理部長)が続いている。

 一九五八年三月の大統領令で定められた公文書館の使命は「国家的文化遺産の重要かつ信頼性の高い証拠として、文書を保存・管理し国民に公開する」。公文書館の窮状は使命達成の大きな障害となっているが、閲覧者には意外な「恩恵」もある。マイクロフィルム・電子文書化が進んでいないために、数百年も前に書かれた古文書のオリジナルに接することができるのだ。

 パテルノさんら閲覧室で手にしていた古文書も、茶褐色に変色した原本。虫食いの穴を指でなぞりながら、バメロ教授は「本物を手にできるのはうれしいが、文書を末永く後世に残すことを考えるといただけない」と複雑な表情を浮かべた。

 公文書館閲覧室は月︱金曜日の午前八時︱午後四時半まで一般利用可能。利用料金は年間二百ペソ。事前に申し込めば、古文書の保存作業なども見学できる。問い合わせ先は公文書管理局(五二五・〇〇二一または五二五・六八三〇)まで。(酒井善彦)

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