ハロハロ
東南アジアで心に残るのは、「しかたがない」というあきらめの言葉だ。ベトナム語の「チョイヨイ」は甲高く、天に向かって運の悪さを訴えるような悲痛さがある。ベトナム戦争の末期に聞いたからかも知れない。サイゴン(現ホーチミンシティ)の暗いアパートの通路で、帰国する米兵に対してサイゴン娘が「チョイヨイ」とつんざくような悲鳴を上げていた。あの娘はボートピープルになったのではあるまいか。
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タイ語は有名な「マイペンライ」である。人に言うときは「気にしない」という意味だが、独り言のようにつぶやく場合は「構うことないさ」というふてくされである。使用人に小言をいうと「マイペンライ」と返す。クビにされても自分は自分だという不屈な面構えについ負けてしまった。タイ人は華南の山奥からチャオプラヤ川の洪積平野に降りてきた開拓民の末裔だ。「微笑の国」などといわれるが、相当な硬骨と独立心である。
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フィリピノ語は「バハラナ」だ。「なるようになるさ」という開き直りと「明日があるさ」という楽天性を感じる。カトリックの国柄だから神様任せという趣である。貧しいフィリピン人に懇願されて、お金を貸した。しばらくして会ったら、身寄りが入院したので融通分の半額を見舞金にしたという。自分の用が足せなかったのではと尋ねると、至極簡単に「バハラナ」。それが言いたいのはこっちだよ。 (水)