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1月8日のまにら新聞から

イスラム教徒の壷屋街

[ 1351字|2006.1.8|社会 (society)|名所探訪 ]

氏族間抗争を嫌い首都圏移住

壺に囲まれ威容を誇る「タボ」とエスマズさん

 マンダルーヨン市南部を走るサンフランシスコ通り。この約三百メートルの通りに沿って、大小さまざまな壺(つぼ)を売る店が九店舗も並んでいる。店主は全てミンダナオ地方中部の南ラナオ州から移住したマラナオ族。イスラム教徒間では商売上手で通っているマラナオ族は、「壺商売」を中心に同市内で唯一の「イスラム教徒居住区」を形成している。

 「イスラム教徒の移住は一九七〇年代半ばから始まった」と語るのは、壺屋の先駆者であるアメル・イスマイルさん(43)。「出身地マラウィ市での氏族間抗争(リド)による利権争いなどを嫌い、移住を決めた」という。

 七六年、親せきを頼ってマンダルーヨン市にやって来た。それから六年後の八二年、イスマイルさんは富裕層を相手とする壺屋を開店した。

 店に所狭しと並ぶ壺の大半は、近隣の東南アジア諸国や中国からの輸入品。値段は品質などによって違うが、売れ筋は中国産の高さ、直径とも一メートルもある水瓶兼壺で、売値は三万五千ペソ。「月に三十個が売れることもある」という人気商品だ。

 九店舗中で最も店構えが大きく、近隣諸国と最も積極的な取引を行うのがアリモサ・エスマズさん(32)。

 エスマズさんは三カ月ごとに一人で海外へ買い付けに出る。今月末には中国・上海や寧波を訪れ、掘り出し物を探す予定だ。

 商品の大半は輸入の壺だが、壺以外でエスマズさんら店舗経営者が誇りを持って紹介するのが、出身のミンダナオ地方伝統の巨大なドラム「タボ」だ。

 木の中を空洞にし、一面にヤギ革が張ってある。木の外側には彫り物が施されている。元来、スルタン(イスラム王朝の君主)が重要なお告げを行う際、ドラムをたたき、村人たちを呼び寄せた。たたくと、「ボーン」とはらに響く低い音が鳴る。

 しかし、さすがの「タボ」も携帯電話の普及に座を奪われ、今ではマラナオ族も携帯電話の文字メールで連絡し合っているため、「タボ」は装飾品となっている。エスマズさんの店にある高さ約三・五メートル(最大直径約一メートル)の巨大なタボは二十万ペソで販売中。

 マラナオ族がまとまって商売をするようになったため、同市に居住するイスラム教徒による商工会議所も設立された。現在の会員約三百人。「イスラム教徒を守るためで、商売立ち上げ時や病気になった人を補助する組織」とユーノス・マカラントン会長(42)。

 同会長は「自称商売人を受け入れていたら、商工会議所やコミュニティー全体の信用を落とす」という理由で「入会者審査を厳格に設定している」ことを強調する。

 「犯罪者、薬物乱用者もいない。商売が軸にあるコミュニティー。ここはタギッグ市マハリカビレッジやマニラ市キアポのような貧困と犯罪が多発するイスラム住民の街とは違う」と「同胞」にも厳しい。

 マカラントン会長は「現状で欠けているのはモスク(イスラム寺院)とマドラサ(イスラム学校)の二つ」と語る。首都圏十七市町でモスクがないのはマンダルーヨン市だけ。昨年、同市役所を通じて大統領府イスラム問題対策室に対してモスクとマドラサに建設用地の供与を要請した。

 同会長は「モスクとマドラサが建設されれば、真の理想郷となるだろう」と力を込めた。 (藤岡順吉)

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