ドゥマゲティの鐘楼
宗教紛争史の生き証人
東ネグロス州の州都、ドゥマゲティ市は十七世紀以降、イスラム教圏に最も近いカトリック布教の一拠点となった。スルー海へ通じる海峡の向こう側はミンダナオ島北サンボアンガ州。直線距離で五十キロ強という近さだ。
この近さゆえにイスラム教徒の侵攻を再三受けた。市中心部にあるドゥマゲティ大聖堂の記録によると、一七五四年五︱六月の襲撃では、町に火が放たれカトリック教徒六百人以上が連れ去られたという。宗主国、スペインにとって、ドゥマゲティ市は北方に散らばるセブやボホール、レイテなどの布教拠点を守る要衝でもあり、大聖堂と並び立つベルタワー(鐘楼)は、そんな動乱期に建てられた。
諸説ある建設時期は一七六〇年代説が有力だ。大聖堂敷地を囲む四隅に二層構造の鐘楼が一つずつ設置され、見張り台兼砲台として機能していた。イスラム教徒の船団を発見した際には、火を燃やして住民に来襲を知らせ、高さ約二メートルの塀に囲まれた大聖堂敷地内へ避難させたという。「ベルタワー」という平和な言葉の響きとは裏腹に軍事施設そのものだった。
現存する鐘楼は一つだけ。高さは約二十メートル。一八六七年に始まった修復で三、四層部分が増築されて四層構造の今の姿になった。塔部分の素材は近海で採れるさんご石や石灰岩、レンガ。頭頂部のドーム状屋根は亜鉛メッキを施した鉄製で一九八七年の補修時に乗せられた。
内部には八十二段のらせん状階段があり、六角型の最上部まで登ることができる。取り付けられている鐘は四つ。ドーム内部に最も大きな鐘が一つあり、残り三つは六方向に開いた窓にぶら下がる。東方を望む窓からはシキホール島が視界に入り、地上では感じなかった風が海から吹き込んでくる。西側の窓からはクエモスデネグロス山(一、九〇三メートル)を中心とする山並みが見える。
鐘は普段、縄で固定され、鳴らされることはない。鐘を鳴らす内部の金属部品も取り外されたままだ。同大聖堂のロマン・サグン神父(45)によると、鐘楼の鐘が最後に鳴り響いたのは二〇〇四年四月十九日、ドゥマゲティ教区の五十周年祝祭だったという。
鐘楼がイスラム教徒襲来を告げる時代はとうに終わり、二百メートルほど離れた海辺には外国人観光客向けのレストランやホテルが立ち並ぶようになった。ドゥマゲティ市在住歴八年の盛光博さん(56)=北海道出身=は「外国人はダイバーが中心。日本人観光客も年間二千人ほどやって来る」と話す。
夜遅くまで観光客でにぎわう海辺の光景から、二百五十年前に同じ海辺で起きたであろう惨事を想像することはできない。サグン神父も鐘楼史をまとめた論文の中で「鐘楼は教区五十周年のテーマ『感謝の気持ちで過去を想起し、熱意を持って現在を生き、確信を持って未来に望む』を体現する存在だ」と記す。
しかし、対岸のミンダナオ島や遠く離れた首都圏ではカトリックとイスラムのせめぎ合いが世紀を超えて続いている。鐘楼が軍事施設としての役割を果たした時代は、爆弾テロや武力衝突で多くの命が失われる現代へとつながっている。(酒井善彦)