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10月24日のまにら新聞から

アヤラ美術館

[ 1269字|2004.10.24|社会 (society)|名所探訪 ]

おしゃれなビルに再登場

 マカティ市有数の商業地区であるグリーンベルト4の一画、マカティ通りとデラロサ通りの交差する場所に、アヤラ美術館の新築ビルがこのほど完成した。石壁風外観の四階建て部分と六階建てガラス張りビルを融合させたおしゃれな外観が目を引く。スペイン時代から百七十年続いてきたアヤラ財閥がフィリピン芸術の粋を集めてこの地に最初の美術館を完成させたのが一九六七年。それから三十七年の歳月を経て、旧美術館跡地に面目を一新して再オープンした。

 新館の床面積は、旧美術館の三倍以上にあたる六千平方メートル。その二階には旧美術館時代から有名だった、立体人形や背景画、模型などで、先史時代から戦後の独立まで、フィリピンの歴史的出来事を六十の場面で再現する「ジオラマ体験」コーナーが常設されている。三階と四階には絵画や聖像、織物などの芸術作品の展示ができる八つのギャラリースペースがある。また、各階に物品を販売するミュージアム・ショップがあり、一階には特別展示が行える広いロビーとコーヒーショップなどが設けられており、入館者はさまざまな展示を一日かけてゆっくりと見て回ることができる。

 今月一日に一般公開された美術館のオープン記念展示の一つは、比絵画の巨匠フアン・ルナとフェルナンド・アモルソロ、そしてアヤラ財閥一族の一員で抽象画家としてスペインで名声を高めたフェルナンド・ソベルという三人の比人画家の作品展示コーナー「一九世紀から二〇世紀までの世紀的絵画」。アヤラ財閥が収集したルナやアモルソロの風景画や人物画は知られているが、フェルナンド・ソベルの作品は独特の抽象世界を表現しており、これまで国内でまとめて展示されることはほとんどなかった。

 財閥中核企業のアヤラ・コープの広報担当部長、エミリー・デララさんは「フェルナンド・ソベルは実はアヤラ美術館を初めて構想した人です」と教えてくれた。戦後すぐに米ハーバード大学で歴史と文学を専攻したフェルナンドはその後、ボストン在住の芸術家と交流し絵画芸術に目覚めた。一九五二年からフィリピンのアヤラ財閥で働き始めたが、八年ほどで芸術家になることを決意。スペインのマドリッドに移住し抽象画を描くようになる。現地で芸術家グループを結成したりスペイン文化省から表彰されるなど、フェルナンドは八四年に亡くなるまでスペインで活躍したが、財閥総帥のハイメ・ソベルを動かしてアヤラ美術館の設立にも貢献した。

 新生アヤラミュージアムは今後、国内の歴史や芸術の紹介というこれまでの役割を越え、さらに幅広い芸術を紹介することを目指している。デララさんも「これからはもっと多様で国際色あふれた芸術を紹介するつもりだ」と意気込んでいる。現在、一階で紹介されているスペインの建築家ガウディの写真展に次いで、来月からはシンガポール芸術美術館が収蔵している比人の画家や彫刻家の作品を紹介する「境界を越える展」が始まる。  (澤田公伸)

 問い合わせはアヤラ美術館(七五七・七一一七)まで。入館料は比居住者が百五十ペソ、外国人観光客は三百ペソ。

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