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5月2日のまにら新聞から

マラテ・ナクピル通り

[ 1219字|2004.5.2|社会 (society)|名所探訪 ]

ニューミドルの「原宿」

 一瞬、東京の都心・原宿付近を歩いているような錯覚に陥った。よく磨かれた高級車が駐車する道の両側から音楽が響く。ラップ、ロック、ジャズ……。マニラ市マラテ地区のナクピル通り。真新しいライブハウスやバー、レストランが百軒近く、約三百メートルの間に並ぶ。最近、フィリピン人の若者に一番人気の「おしゃれな」街だ。

 「ローストポーク」一皿五百八十ペソのレストランもあるが、カフェテリア風のバーならパスタが百ペソ。手頃な値段の店も多い。「大学生やビジネスマンなど客層の八割は平均的な比人の若者」と店長のリチャード・ホクソンさん(25)。店長のいう「平均的比人」とは新中間層(ニューミドル)を指すようだ。ここの主役は比較的な裕福なフィリピン人の若者である。プロバスケットボール選手、俳優など有名人もよく顔を出す。

 この通りは、西で交差するアドリアティコ通りが増殖するように四年ほど前からおしゃれな店が目立ってきた。マカティ市からやってきた女子大生(20)は「お店が集積しているし、ちょっと昔っぽいところが好き」と話す。マカティにない「古き良きマニラ」のたたずまいが魅力のようだ。ナクピル通りではわざと古さを演出した新築店も多い。落ち着きと洗練が同居した雰囲気はやはり東京・原宿の「表参道」に近い。

 近くで日本食料品店を経営する島田栄さん(61)は町の盛衰を見守ってきた。「一九七〇年ごろにぎわっていたのはアドリアティコ通りから一本筋を隔てたマビニ通り、さらに先のデルピラール通り。東京でいえば銀座のような中心街でした」と振り返った。

 かつてマビニ、デルピラールの両通りには、外国人観光客と比人女性が出会うゴーゴーバーやカラオケがひしめき合っていた。ビジネスの中心はすでにマカティ市に移り始めていたが、マカティにはまだ繁華街がなく、日本人ビジネスマンもマビニまで遊びに来ていたという。

 ところが、一九九二年、マニラ市のリム市長=当時=が、市内のゴーゴーバを一掃する「浄化キャンペーン」を開始。今のマビニ通りには「かつての栄華今は昔」の感が漂っている。

 「しばらく火が消えたようでした。それがここ数年前からアドリアィコ、次にナクピルに比人が集まりだした」と島田さん。自家用車が比人の中間層に普及したことが大きいようだ。

 マビニやデルピラールは今もジプニー路線となっており、駐車スペースを見つけるのは難しい。比較的静かなたたずまいのナクピル、アドリアティコなら車で来られ、歩いてもジプニーの排ガスに悩まされることはない。

 「交通渋滞が壁になってマカティの日本人がマラテに来なくなってしまった」と日本料理店を始めて二十三年の中村弘三さん(66)。マラテ地区は外国人の街から比人の街に様相を変えつつある。

 深夜、ナクピルからマビニに足を伸ばしてみた。かつては不夜城だったという通りには、今は一部薄暗い場所もあり、足早に立ち去った。(川村敏久)

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