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4月25日のまにら新聞から

国軍博物館

[ 1251字|2004.4.25|社会 (society)|名所探訪 ]

外敵と内敵のはざまで

 入館者は入口正面の壁を覆う巨大レリーフにまず目を奪われる。植民地時代から革命期、比米戦争、第二次世界大戦を経て戦後へ。フィリピン革命(一八九八年)の最高指導者、アギナルドの肖像を取り囲むようにして、戦う比人の群像が刻まれている。

 そして、傍らに掲げられた説明書きは高らかに宣言する。「比人はいつの時代も自由を希求し、生まれた土地、家族を侵略者や圧政から守るため戦ってきた。戦いの伝統を具現化しているのが国軍である」

 国軍の起源はしかし、スペイン植民地政府が比支配のために作った比人部隊にさかのぼる。

 国軍史を七つの時代に分けて総覧させる一階展示場。「スペイン植民地時代」コーナーには、民族固有のやりで武装した歩兵やはだしの下士官ら比人部隊の様子が展示されている。彼らは宗主国のため同胞に銃口を向けた。続く比革命では米の支援を受けたアギナルド率いる革命軍と戦火を交えることになる。

 そんな比革命の行く末を決定付けた歴史的瞬間が、入口正面の壁の裏側に掲げられている。

 スペイン植民地支配に対し初めて武力蜂起した英雄ボニファシオが、アギナルド派の追放画策に激怒し、銃を抜かんとしている光景。結局、ボニファシオは失脚、反逆罪で処刑されたが、一世紀を経た今、その名は「比革命の父」として輝きを増している。

 有産階級出身のアギナルドを称賛する巨大レリーフ。貧民出身のボニファシオ失脚の時を描いた絵画。壁一枚を挟んで背を向け合う二つの展示物は、その後の比の歴史を暗示しているかのようで興味深い。

 博物館コンサルタントのホセアントニオ・クストディオさん(36)は言う。

 「スペイン植民地政府は比人と比人を戦わせ、米は比人部隊を上手に使いながら二十年近い歳月をかけて比の支配層を親米派にした。日本軍は自分たちの文化や価値観を一方的に押し付けた。比人はこれを嫌い、米とともに日本と戦う道を選んだ」

 戦後。銃口は日本という外敵との戦いを経て再び内へと向きを変える。

 「内なる敵」は、抗日ゲリラを出発点とする新人民軍(NPA)やカトリック支配にあらがうイスラム反政府勢力。七番目の展示ブース「戦後から現在へ」には、反政府組織から押収されたソビエト製の自動小銃や真っ赤な「バゴン・フクボン・バヤン(BHB、フィリピノ語で新人民軍の意味)」旗が米製の国軍制式銃などとともに並ぶ。

 比人ゲリラが国軍兵めがけて放った銃弾の弾痕が生々しく残る展示物もある。館外展示場の米製兵員輸送車。この輸送車をめぐる攻防でおそらく何人もの比人が命を落としただろう。ただ、戦死した国軍兵の名が歴史に登場することはなく、ゲリラもまた、反逆者として歴史の裏側にとどまり続ける。(酒井善彦)

 博物館はケソン市の国軍本部(アギナルド基地)内にあり、一般公開されている。約千八百平方メートルの館内に約千五百点を展示中。開館日は火︱土曜日の午前九時︱午後四時。入館料は一般二十、学生十ペソ。問い合わせは同館(九一二・七六六四)まで。 

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