戦争は美化できない
報復攻撃の行方
「われわれは現在、平和な生活を送っているが、時としてその平和を守るために戦わなければならないことがある」
こう述べたのは、九月十一日の米中枢同時テロを受け、タリバン政権に対する米国の報復攻撃を支援した英国のブレア首相である。
しかし、美化することのできる戦争など決して存在しない。それは、今回の報復攻撃が改めて教えてくれることになるだろう。
八日未明、米国は目覚めたかのように「自由のための忍耐」をスローガンに戦争を始めた。攻撃はタリバン政権の拠点、カンダハルなどへの空爆で開始され、米国のメディアは「大半の国民が報復攻撃を支持している」と伝えた。だが一方、罪のない市民が巻き添えになることを懸念し、もう少し外交努力で成果を得るべきだったとの声が出ている。戦争には膨大な費用が必要だが、不戦の場合の報酬はいくらになるのか。
しかし、もう後戻りはできない。ミサイルは投下され、敵もウサマ・ビンラディン氏の引き渡しを拒否、米英軍の攻撃に徹底抗戦する構えを示している。攻撃が攻撃を呼び、破壊が破壊を生む。テロリズムの世界では特にこのような悪循環が顕著だ。
攻撃の理由が「報復」であれ、戦争は無秩序な社会を作り出す。米政府は戦争の長期化を明言した。報復攻撃による打撃が大きくなれば、アフガニスタンの罪のない市民が他国に救援を求め、米国やその同盟国がテロの標的となることもあり得るだろう。それに対し米軍はまた、陰に潜むテロリストたちの攻撃を続ける。
自由を求めるなら、このような戦争に歯止めを掛けなければならない。われわれにできることは、戦争により自由や平和が失われぬよう祈ることしかない。