カグサワ教会
廃虚は噴火犠牲者の墓標
日本では江戸時代後期に当たる一八一四年二月、ルソン島ビコール地方、アルバイ州にあるマヨン山(二、四二一メートル)が大噴火した。四つの町村が溶岩にのまれ、千二百人以上が犠牲になったと伝えられる。
山の南方約七キロ、同州ダラガ町にあるカグサワ教会も深さ約六メートルの溶岩に埋まり、内部に避難していた多数の信者が命を落とした。州都レガスピ市に住む旅行ガイド、ボイエ・マルセロさん(43)は「遺体は二百年を経た現在も埋まったまま。教会の廃虚は犠牲者の墓標のようなもの」と話す。
空へ向かって突き出た鐘楼は高さ約二十メートル。頂上部には、十字架に代わるように「バレテ」という木が自生している。青々とした葉が塔の上部を覆い、幾筋もの根っこが地面めがけて壁面を下る。
木々の向こう側にそそり立つ、円すい形の美しい山容。青い空と白い噴煙の見事なコントラスト。教会の廃虚から山へ向かって一面に続く水田とココナツ林。その風景は、足元に溶岩の巨大な塊が広がっていることを忘れさせるほど牧歌的だ。
火山活動は今も休むことなく続いている。
八年前、一九九三年二月の大噴火では七十七人が火砕流にのまれるなどして死亡。その七年後の二〇〇〇年二月には、溶岩流が山頂から五キロ離れた山ろくまで迫った。今年に入ってからも山体の膨張が確認されており、山頂から六キロ以内は立ち入り禁止区域になったまま。その境界線から教会跡まではわずか一キロしかない。
マルセロさんは言う。「マヨン山を見て育ってきたが、夜中にゴロゴロと音を立てながら火口付近が光るといまだに怖い。ただ、火山灰が降るおかげで土地が肥え、コメやココナツがたくさんとれる。山を見ようと観光客も大勢やって来る。他の土地へ移ろうとは決して思わない」
教会跡一帯はラモス政権下に公園として整備された。遊歩道やベンチ、街灯が設置され、首都圏などから遠路はるばるやって来た家族連れやカップルの姿が絶えない。
公園の一角には、高級リゾートで目にするようなプールもある。水はマヨン山を源にする地下水。近くの泉から水路を使って引っ張っている。わき出した直後の水は冷たく、口にすることもできるという。
天然の水をプールに使うという発想は、空気と水の汚れきった首都圏では到底生まれないだろう。このあたりにも、山に生死をゆだねてきた人々の生き様を垣間見ることができる。(酒井善彦)