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2月18日のまにら新聞から

エドサ聖堂

[ 1050字|2001.2.18|社会 (society)|名所探訪 ]

革命生んだ「エドサ魂」

 「エーラップ・リザイン!」。大合唱はエストラダ前大統領(愛称エラップ)がマラカニアン宮殿を立ち去るまで鳴りやまなかった。市民運動に共鳴する形で国軍が反旗を翻し、一月二十日、アロヨ副大統領=当時=が壇上に上がり、大統領就任を宣言。第二のエドサ革命「ピープルパワー2」の成功を告げた。

 政変の舞台となったのは、パシッグ市エドサ、オルティガス両通りの交差点に位置するエドサ聖堂。十五年前のマルコス独裁政権崩壊を導いたエドサ革命を記念した由緒ある建物だ。

 一九八六年二月二十二日、クーデターを計画していたエンリレ国防長官が、ラモス国軍参謀総長とともにケソン市の国防省本部にろう城したのがエドサ革命の発端。

 これに呼応したシン枢機卿率いるカトリック教会はコラソン・アキノ氏ら反マルコス勢力を巻き込んで、市民に対してエドサ通りへの結集を呼び掛け、三日間に及ぶ大規模な市民運動に発展した。同月二十五日、マルコス大統領はマラカニアン宮殿をヘリで脱出、米国へ亡命した。

 同聖堂のボランティア職員、ミニ・ファクトゥラさん(56)は「マルコス派の国軍部隊が市民排除の武力行使に出た際、私たち市民は、聖堂が今あるこの場所で、兵士たちに花束を手渡し、彼らのために祈った」と当時を振り返る。軍は結局、エドサ通りに集まった群衆に阻まれ、反マルコス市民運動を阻止することは出来なかった。

 この劇的な政変を実現させた同革命を記念して、聖堂は八九年十二月に建立された。ファクトゥラさんは言う。「私たちはエドサの魂を忘れなかった。あれから十五年後、民衆は再度エドサに結集して不正にまみれたエストラダ大統領を追放することに成功した」。

 前大統領の弾劾裁判で、証拠書類の開示が否決された同月十六日、だれの呼び掛けもないまま、市民らはもう一度、聖堂に歩を進めた。若者たちは携帯電話の文字メールを駆使して仲間を集め、デモと集会は日増しに盛り上がり、参加者は数十万人に膨れ上がった。

 そして、今、巨大なショッピングモールに囲まれた聖堂は、商業地区の一角に再びひっそりとたたずんでいる。

 買い物に来ていたエリック・エヘルシタドさん(36)=カビテ州シラン町在住=は、「教会や一部の政治家たちの損得勘定に民衆が乗せられた。大統領が代わってもこの国は変わるかどうか分からない。聖堂はそのうち外国人の観光スポットになるんじゃない」と話した後、壇上にそびえ立つ高さ約十メートルのマリア像を見上げ、足早にモールの中に消えていった。(野口弘宜)

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