名所探訪138「旧日本大使館」
領事部入口、ごみ置き場に
鉄格子付きの無表情なガラス戸を開けると別世界が広がっていた。淡い白と灰色のタイルが敷き詰められたフロアには、ゆったりとした来客用のソファ。青色がかった壁と白い天井が間接照明に映える。
かつて、「ガチャン」という重々しい音とともに開閉されていた仕切りは取り払われ、代わって「何かご用でしょうか」と受付嬢の柔らかな声が外来者を迎える。
一九九七年四月中旬まで在フィリピン日本大使館として使われていたマカティ市ジュピター通り沿いのビル。同年九月からは米カリフォルニア州に本社のある民間企業が入居している。
政務、経済班や領事部などを細かに仕切っていた壁は取り払われ、フロア全体を使った開放的なオフィスに生まれ変わった。大使、公使ら幹部専用の部屋もない。大使館当時のまま使われているのは、「保安上の理由から残した」という鉄格子付きの正面玄関と古ぼけたエレベーターぐらいか。
改装を指揮した会社幹部(50)は「改装には少なくとも五百万ペソかかった。昼間でも日が射し込まない暗い事務所だったので、とにかく明るく開放的に変えようと心掛けた。治安対策を重視する余り非常出口がないなどの問題もあった。数人しか入れない小さな部屋を見た時は、『もしかしたら拷問に使われていたのでは』と仲間で冗談を言い合った」と当時を振り返る。
実際に改装作業にあたった従業員(26)も「壊すのに一番手こずったのは防弾ガラスで特殊工具が必要だった。小さな部屋が迷路のように並んでいるのを見て、まるでスクウォッター(違法占拠住宅)のようだと思った」と話す。
日本のビザ発給をめぐって、悲喜こもごもの「ドラマ」の舞台になった領事部のビザ受付窓口も冷房がほどよく利いたオフィスに姿を変えた。スーツをぴしっと着込んだ女性社員(24)は「ここがビザ窓口だったことは知っているけど、来たことがないので昔のことはよくわかりません」
領事部の来訪者専用だった裏口は鉄門とベニヤ板でふさがれ、持ち物検査が行われていた空間は郵便物の仕分けルームに。そして、ビザ申請者が長い列を作った裏口前の通路は、ごみ置き場になった。
フィリピン人にとって日本への「入口」だった通路には、全長二メートルはあるごみコンテナがドンと置かれ、その傍らではごみの悪臭に混じって尿の匂いが漂っていた。(酒井善彦)