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6月20日のまにら新聞から

もったいなさと何もしない美徳

[ 2113字|2016.6.20|政治 (politics) ]

ノイノイの6年

当選を喜ぶアキノ大統領(右から2人目)=2010年6月9日、首都圏ケソン市の下院本会議場で写す

 ベニグノ・アキノ3世、ノイノイの治世が今月末で終わる。元大統領だった母の死去を受けて、2010年の大統領選に立候補し圧勝した。安全保障や経済面で、業績を評価する外交・財界関係者は多い。しかし私は「もったいない6年間」だったという印象をぬぐえない。最後まで高い支持率を維持したのだから、もっといろいろできたはずだ、と。多くの国民も、飽き足らなさを感じていたからこそ、ロドリゴ・ドゥテルテ氏の剛腕に将来を委ねたのであろう。

 西フィリピン海(南シナ海)問題で、ほぼ全域の領有権を主張する中国に対し、常設仲裁裁判所に提訴するなど筋の通った対応を貫いた。安倍政権もこれを高く評価し、これまでの政府開発援助の枠を超えて巡視艇の供与や自衛隊機の貸与を決めた。米国とは防衛協力強化協定を結んだ。これで1992年に比を撤退した米軍が再び国内の基地を拠点とする道筋をつけた。

 政権のキャッチフレーズは「まっすぐな道」「汚職なければ貧困なし」だった。アロヨ前大統領を略奪容疑で逮捕し、コロナ最高裁長官を弾劾、ビナイ副大統領一族の不正蓄財を追及、優先開発補助金の不正流用で、上院議員を3人を起訴した。

 腐敗追及が貧困削減に結び付いた証明もないが、大統領個人として最後まで汚職のうわさが聞こえてこなかったことが高支持率につながっていたとみられる。

 経済では任期中、6%を超える国内総生産(GDP)の伸びを記録した。歴代政権下の平均成長率では群を抜いており、アジアの国々と比べても屈指の伸びを示した。

 GDPの7割を占める個人消費が好調だったことに加え、ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)産業の規模が2014年には189億ドルを記録。就労者は120万人に達した。比国債の格付けもたびたび格上げされ、「投資適格」となった。

 だがしかし、である。インフラ整備が経済成長ほど進まなかった結果が、今日の交通渋滞であり、マニラ国際空港のありさまだ。官民連携方式を主な整備手段と定めたが、政府に対する企業側の不信感もあり、6年間で完成はゼロ、契約ベースでも10件に届くかどうか。財政黒字でありながら、政府予算で大規模な社会基盤整備に乗り出すことはなかった。

 外資規制もほとんど緩和されなかった。日本貿易振興機構によると、昨年の外国投資は約42億ドル。前政権に比べて数倍になったと政府は主張するが、インドネシアの285億ドル、ベトナムの219億ドルなど周辺国より1桁少なく、ミャンマーの44億ドルにも及ばない。海外出稼ぎ送金256億ドルの6分の1。送金に底上げされた経済成長といえる。

 憲法の経済条項を改正し、外資が進出しやすい環境を整えようとしたが、議会の反対でとん挫した。憲法改正は強権政治に逆戻りするきっかけになるとの反対理由だが、本当のところは、非関税障壁に守られた当地の財閥の既得権擁護を議員が代弁しているにすぎない。

 比外国人商工会議所連合は2月9日、次期大統領が外資規制の緩和やインフラ整備などの経済改革を実行すれば成長率は18年から10%台を達成できるとの見通しを示した。確かに近隣諸国に追い付くためには2桁成長が必要であり、やり方によっては可能であろう。 

 国民の平均年齢は23歳とアジアで最も若い。圧倒的な人口ボーナスを享受するためには雇用の確保と教育の充実が必要だ。前者では外資、なかでも製造業の誘致が欠かせない。

 ドゥテルテ次期大統領もやはり憲法の経済条項改正を唱えている。真の改革者か、単なるこけおどしか。ここでも新大統領の手腕が問われる。

 憲法改正とともに、政権が最重要施策に掲げながら日の目をみなかったのはバンサモロ基本法案(BBL)だ。こちらも議会のサボタージュで成立しなかった。議会の抵抗が強かったのはどちらも事実だ。それでも大統領自らが直接、議員らの説得に乗り出した形跡はない。

 母が死ななければ大統領になることはなかった。本人が望んでいたわけでもなく、十分な心構えもないままトップに座ったといえば言い過ぎか。懸案を解決する意思とガッツに欠けていたように私にはみえる。それにもかからわらず経済が好調で高い支持率を保ったのはなぜか?

 幸運や時代に恵まれたことが大きい。逆説的に言えば、何もしなかったことが幸いした面もある。マルコスのように戒厳令を敷いて国の富を収奪したり、アロヨのように汚職にまみれたり、エラップのように賭博や飲酒におぼれたりすることもなかった。悪行を重ねるぐらいなら、「何もしない」ことがこの国の政治家には時に美徳となり、業績にもなりうる。

 母方のコファンコ家はタルラック州にある大農園の地主である。農民搾取の象徴だ。ノイノイ時代も農民に土地を分配したわけではない。そんな家柄でも母と同様「個人としては悪いことはしない」。これがこの国では大切なのだ。

 悪いことはしないが、優柔不断と評された6年を経て、国民は強い(ようにみえる)リーダーを選んだ。この賭けが吉と出るか凶と出るか。審判にそう長い時間はかからないだろう。(編集顧問・柴田直治)

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