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3月16日のまにら新聞から

台風ヨランダ(30号)

[ 1139字|2014.3.16|気象 災害 (nature) ]

日本の学生が被災地パラワン州クリオン島でハンセン病回復者の手足となって活動

修理中の民家に住むハンセン病回復者(前列左)と学生ボランティアら=現地コーディネーターの日高将博さん提供

 被災したハンセン病元患者の手足になりたい??。台風ヨランダ(30号)で被災した元患者が多く住むルソン地方パラワン州のクリオン島で、東日本大震災の被災の経験を持つ東北の学生ボランティアら約20人が2月14日から3月末まで、汗を流している。  

 日本財団が呼び掛け、震災後の復興支援活動を経験した学生がボランティアを買って出た。4期に分け派遣され、1期5日間ほど。

 クリオン島には米国統治時代の1906年にフィリピン全土からハンセン病患者を集めて療養させる施設ができ、一時は5千人を超える患者を収容していた。現在も元患者119人が暮らす。

 元患者の中には一人暮らしの高齢者も多い。吹き飛んだ屋根をビニールシートで処置しただけで寝起きしている人もいる。学生は6つの民家に分かれ、家主である元患者の比人と交流しながら屋根をふいたり、ブロック塀を建設するなどした。

 「私の手を見て。ほら、怖くないか」と元患者が明るく笑い飛ばす姿に、学生らが圧倒される様子も見られた。東北福祉大の三谷清香さん(20)は震災時は広島県の高校2年生。生徒会長として募金活動を積極的に行ない、何か助けになりたいと仙台市の東北福祉大へ入学。民間団体が認証する防災士の資格を取得、ハンセン病患者は災害時には「要支援者」として優先的に支援されることを知った。「初めてやる土木作業や、回復者の方との交流で多くを学んだ。今後の防災士としての活動に生かしたい」と語る。

 宮城県仙台市で育った作間温子さん(21)は親戚の家が流された。震災直後は「何かやりたい」との気持ちはあったが、見慣れた場所でのがれき撤去が「怖い」という気持ちで踏み出せなかった。震災の1年半後から写真展などに自主的に取り組んだが、直接的な支援活動ができなかったという心残りがあった。比での機会があると知り、迷わず飛びついた。「あまり(ハンセン病の)知識がなかったから、クリオンに来て回復者の方と触れ合って、大変な問題なんだと認識するようになった」と充実した表情を見せた。

 元患者は活動最終日の挨拶で「女の子が大工作業するなんて見たことがないから驚いたが、修理してくれた屋根や釘は私たちの思い出であり、宝物です」と感謝を伝えた。現地コーディネーターの日高将博さん(29)は「回復者の人は差別を受け、孤独を感じている人も多い。交流することで精神的支援にもなる」と語った。(松本江里加)

 

 ハンセン病 らい菌による慢性感染症。皮膚や末梢神経の肥大、四肢の変形などの病変を伴う。痛みや熱さの知覚を失うのが特徴で、発疹と間違うことが多く、メスで刺して痛感があるかどうかなどスメア検査で診断する。抗生物質の服用で治り、遺伝はしない。

気象 災害 (nature)