被災地復興(上)
台風ヨランダ被災地の貧困が加速する恐れ。生計手段の再建が課題に
ビサヤ地方の住民と産業に深い傷跡を残した台風ヨランダ(30号)。政府は復旧段階から復興段階への移行を宣言し、2017年までに総額3610億ペソを投資する復興・再建計画を立ち上げた。しかし、被災地に一歩足を踏み入れると、復興は遅々として進んでいないことがよく分かる。
大きな被害が出た東ビサヤ地域の中でも、特に貧しい地域とされているサマール島の被災地では、台風被害をきっかけに「貧困の加速」が強く懸念されている。
「フィリピン政府が設定した基準で貧困層に当たる町民は、被災前で人口の40%に上っていたが、今後50%以上に増える恐れがある」とサマール州バセイ町役場の災害対策担当、マニュエル・オレホーラさん(64)は話す。同町の主要産業は農漁業だが、台風の被害で船や漁具が流され、田畑は破壊された。農業の中でも大半を占めるココナツ農業は、収穫用のココナツ林の半分以上が強風によって吹き飛ばされてしまった。「町は生計手段を失った住民であふれている」とオレホーラさんは嘆く。
被災から3カ月が過ぎた2月上旬。同町のがれきはすっかり撤去されていたが、代わりに国際支援団体が配布した臨時居住用のテントが至る所に見られた。
同町のバランガイ(最小行政区)・サンアントニオでココナツ農家を営んでいたシクスト・タブアクさん(58)は、山あいにあったココナツ林をすべて失った。
ココナツ農業は主に、ココナツの実を乾燥させた「コプラ」を生産するためにココナツの収穫を行う。コプラは洗剤や油の原料となり、日本を含め海外に多く輸出される。ココナツ農家は、輸出業者にコプラを売って生計を立てる。3カ月ごとの取引で、収入は多くて6千ペソほど。これをコプラ生産者と等分するため、農家の取り分は3千ペソ。月千ペソの計算だ。
タブアクさんはこの収入で妻と子供3人を養っていた。台風後、辛うじて残されたココナツを加工して最後のコプラを作ったが、業者に売れたコプラでは1100ペソの収入にしかならなかった。
このままでは暮らしていけないので、1万ペソを借金し、12月に雑貨店を始めた。収入は1日350ペソほどだが、多くが負債の返済と商品の仕入れに消えていく。
「新しいココナツが木に成長するまで、10年近くかかる。それまでは生計が安定しない日々が続く」とタブアクさんは話した。
雑貨店の隣に住むロゼル・ロビンさん(25)は、父と2人でコプラの運搬をして生計を立てていた。ところが、ココナツ林がほとんど流された今、ロビンさんたちへの仕事の依頼は激減した。仕事があれば2人合わせて1日200ペソの収入になるが、現在は不安定な日々が続く。「今は支援物資のコメを節約してなんとか食いつないでいる」と話す顔は不安そうだ。
ロビンさんは12月、社会福祉開発省(DSWD)が実施する生計支援プログラムで、10日間のがれき撤去作業を行った。1日260ペソの賃金は、なぜか2月に入っても支払われていない。
家もすべて流され、今は木片を集めて建てた小さなあばら屋に妊娠中の妻と2人で暮らす。父母や7人の兄弟らは、その隣で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支給したテントを張って夜露をしのいでいた。生活のための借金は1900ペソに上る。「今の方が前よりもはるかに貧しい」とロビンさんは訴えた。
防災担当のオレホーラさんは「生計手段の再建が最も重要な課題だ」と話す。自治体でも職を失った漁師や農家に、倒壊した建築物の修繕など臨時の生計手段を提供しているが、全ての被災者には手が回っていない。「仕事がなければ食料も手に入らない。今はまだ支援物資に頼らざるを得ない」とオレホーラさんはため息をついた。(加藤昌平)