議長が見た被災地5
タクロバン市の空港近くではバランガイ(最小行政区)の3分の2が居住禁止に
被災地支援の入り口となったレイテ州のタクロバン空港は、レイテ湾に突き出した小さな半島の先端に位置している。半島の真ん中を走る、タクロバン市中心部に続く道を歩くと、両側一面が、高潮に流され、裸になってしまっているのが分かる。がれきで造った小さな小屋や、国連が配った白いテントが立ち並び、その周りで、住民が洗濯をしたり、漁に使う網を修理したり、金づちで釘を板に打ち付ける。
空港近くのバランガイ(最小行政区)88は、人口約1万1千人、2291世帯を抱えるマンモス・コミュニティー。12月21日の時点で、死者・不明者は約800人に上った。
住民によると、海に挟まれたこの地域では、両側から高潮が襲い、高さ5メートルほどまで真っ黒な波につかった。被害を免れた場所はない。生存者は、事前に避難所に避難したり、2階建て以上の建物に駆け込んだりして助かったという。
「風だけなら大丈夫だったのに。強制避難の指示さえあれば・・・」。フロリダ・パラガルさん(43)の目から涙があふれる。息子(19)は行方不明のまま。道路の脇に積み上げられた、がれきの山の中から、まだ遺体が見つかることがあるという。家族を亡くした住民は、今も辺りを歩き回り、がれきの山を崩しては遺体を探している。
バランガイ議長のエメリタ・モンタルバンさん(48)は住民の移住の問題に頭を悩ませていた。ロムアルデス市長から、海辺に近い九つの地区は「居住禁止地域」に指定されたと聞いたという。9地区はバランガイ全体の3分の2に及ぶ。テント生活も危険なため、住民はいったん仮設住宅に移り、その後、内陸部にある同市パラノグに建設される再定住地に移住しなければならない。半年以内には移住が始まると聞いているが、詳しい日程は未定。政府による復興計画は始まったばかりで、「居住禁止地区」が今後大幅に拡大される可能性もある。
仮設住宅や再定住地への移住の話は、一部の住民にも話し始めたが、大半が住み慣れた元の場所に住みたいと言っているという。
「移住は国と市が進めることなので、従うしかないが、住民は『大災害は100年に一度だから大丈夫』と言って聞かない」
仮に住民の移住が完了すれば、自身のバランガイの人口はおよそ3分の1になってしまう。再定住地は別のバランガイなので、そこで議長をやるわけにもいかない。
被災直後、夫は「ここはもう死の町だ。希望はない」と言って次男と孫2人と共に首都圏に避難した。一緒に行こうと説得されたが、モンタルバンさんは残った。25歳の長男も残り、母の右腕としてバランガイの仕事を手伝っている。
住民の気持ちも少し分かる。レイテ州に生まれ、88バランガイで暮らして30年以上。結婚も子育ても、ここでした。20年間、バランガイの事務職を務め、10月の選挙で議長に再選、2期目に入った。
居住禁止対象にはなっていないという地区に、市が所有する空き地があるという。そこを住民の再定住地にできないものかと考えている。
「地元から人がいなくなるのは寂しい。建物の被害が比較的少なかったビレッジの中に、3階建ての頑丈なバランガイ・ホールを建て直すつもり。また台風が来たら、ちゃんと避難すればいい。もう一度ここで、地域を立て直します」。先の見えない状況の下、ふるさとの再建に思いを馳せた。(大矢南、おわり)