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1月5日のまにら新聞から

議長が見た被災地4

[ 1693字|2014.1.5|気象 災害 (nature) ]

インフラの再建望むも議会予算足りず。政府の復興支援届くのを待つ日々が続く

がれき撤去に雇用された住民らと話す議長のタブンガルさん(右端)。20メートルほど先には海が広がる=12月22日、ビサヤ地方サマール州バセイ町ロヨで写す

 レイテ州の州都タクロバン市からオートバイで約1時間、日本の政府開発援助(ODA)で造ったサンフアニコ橋を渡ってすぐ近くに、サマール州バセイ町がある。町中心部のうち、海沿いにある四つのバランガイ(最小行政区)が高潮で最も大きな被害を受けた。

 住民の多くが生計を頼る漁業の中心地、町の公設市場や、町庁舎、観光センター、高校、バランガイ・ホール(村役場)、5歳児以下の就学前教育を行うデイケア・センター、診療所など、主要な建物は根こそぎ流されてしまったか、1階部分が損壊した状態。海岸線から20メートル以内の民家は跡形もなくさらわれてしまった。

 サマール州の州都カトバロガン市の被害が比較的小さかったこともあり、食料や水の供給は安定したが、民家の再建に必要な資材が不足しており、自治体インフラも再建のめどは立っていない。

 ロヨ・バランガイの議長、ネネット・タブンガルさん(38)は、住民の避難所にもなる頑丈なデイケア・センターの再建、満潮時や高波の度に洪水になるのを防ぐための排水溝の整備に加え、海岸線をベイウォークとして再建する構想を描いている。

 「町長の話では、海岸から20メートル以内は移住対象になった。そこをベイウォークとして、公園や小さなステージを整備する。住民が元の場所に戻るのを防げるし、憩いの場にもなる。海の眺めが良いので観光スポットにもできるかもしれない」

 漁師でもあるバイバイ・バランガイの議長、アルディン・カバブさん(41)は、住民の半数近くが漁業やその関連の仕事で生計を営んでいることから、流された漁船、小舟、網の確保が重要だと話す。町議会に招集されるたびに、必要な支援や地域の再建に向けた構想を話すが、バランガイだけでは資金が足りず、手を付けられないでいる。

 ロヨもバイバイも、バランガイの1年間の予算は100〜120万ペソほどだという。このうち、55%は議長・議員や事務スタッフらの人件費。20%はバランガイの開発・整備事業、10%は青年評議会(SK)、5%が災害対策、残り10%はその他というのが大まかな内訳になっている。使途は決められており、原則的には国会議員向けの優先開発補助金(PDAF、通称ポークバレル)のような議長の裁量的予算はない。

 バランガイ・ホールやデイケア・センターの再建には、20%の開発・整備事業費を使うことができるが、タブンガルさんも、カバブさんも、年間20〜24万ペソでは、任期3年かかっても予算不足で工事を完工できないと説明する。

 バイバイでは、災害対策用の予算で買って保管していた緊急時用の食料も、予算の支出に必要な書類や伝票、通帳なども、バランガイ・ホールと民家ごとすべて流されてしまった。

 予算を動かせないため、被災後は議長から事務方、バランガイ警備隊(タノッド)まで、全員無給状態。排水溝やベイウォークはおろか、最も必要な住宅の再建もままならない。

 台風の烈風と高潮がもたらした被害の規模は、バランガイや市町の自治体がどうにかできる範ちゅうを完全に超えている。

 カバブさんの元には、毎日住民が食料や建設資材などの支援を求めて訪ねて来る。「遺体探しもみんなでやった。その辺に浮いている使えそうながれきをかき集めて、その場しのぎの資材も探した。家や商店の再建で人手を雇いたい人がいれば、収入源になるよう住民を紹介する。救援物資も、届いた時は配る。でも、頼まれても、私自身も何もないときや、どうしようもないことがある」。Tシャツにバスケットボール用の半ズボン姿のカバブさんは、少し疲れた表情で話した。

 町長の指示で、全バランガイ議長は、自分たちの地域の被害状況と支援の具体的な要請内容を報告書にして提出することになった。

 タブンガルさんは問い掛ける。「支援の要請は、バランガイ、町、州、国の順番で上がっていく。政府は、外国や国際機関と協力して復興を支援する準備があるという。でも、問題は、いつ私たちに届くの?ということ。待っている間にまた台風が来るかもしれない」(大矢南、続く)

気象 災害 (nature)