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12月10日のまにら新聞から

台風ヨランダ(30号)

[ 1552字|2013.12.10|気象 災害 (nature)|ビサヤ地方台風災害 ]

被災地で活動を続けていた日本を含む世界各国の緊急医療支援チームが撤退へ

生まれたばかりの次女アシェリーちゃんを見つめるオペニャノさん=9日午前11時半ごろ、タクロバン市で写す

 ビサヤ地方レイテ州タクロバン市は台風ヨランダ(30号)襲来で、医療施設も甚大な被害を受けた。しかし台風上陸から1カ月が経過、被災者を診療するため同市に派遣された日本を含む各国緊急医療チームの多くは、近く撤退する方針だ。緊急的医療支援のニーズは落ち着き、今後は「住民の生活再建」が最大の課題となりそうだ。

 日本の国際協力機構(JICA)に率いられた医療チームは、9日の診療を最後に間もなくタクロバン市から撤収する。

 同医療チームは同市を拠点として11月15日から活動を開始し、第3陣まで増派してきた。第1陣として現地入りした大友仁副団長(50)によると、外傷など台風に直接関係した診療例はほぼ無くなった。がれき撤去作業でくぎを踏んで負傷したり、台風直後に負った傷が化膿(かのう)した人などが今でも診療にやって来るが、大半は高血圧など慢性病や風邪の患者になったという。

 日本医療チームのテント前で受診を待っていたエリシー・クエバスさん(36)は、娘ステファニーちゃん(1)が風邪をひいたため訪れたという。クエバスさんは「日本の無償診療が無くなってしまうのは残念」と話しながらも、日本語で「アリガト」と笑顔を見せた。大友副団長は「緊急医療支援としては一段落した。今後は防災など早期復興に向けた支援が中心となる」と話した。

 被災地撤収の判断をしたのは日本だけではない。タクロバン空港近くで活動を続けてきたオーストラリアの医療チームは8日午後に撤退し、韓国の医療チームも14日に同市での活動を終える。今後、同市内の被災者は診療を再開した公立病院などを利用することになる。比健康保険公社(フィルヘルス)の医療施設では、一部処方薬などを除き、被災者向けの無料診療が続いている。

 東ビサヤ地域病院の医師アリーン・エスピニャさんは、被災地は復興段階に移行していると強調する。「台風襲来直後は非常用電源も水没し、手術ができない状態が続いた。電気の供給が3日に完全復旧し、状況は改善した。当病院も沿岸に位置しているため、3年以内の移転を検討している」と言う。

 台風による外傷患者が激減した反面、家を失った患者が退院を拒むなど、住宅再建に絡んだ問題が院内で発生しているという。

 国際医療支援団体「国境なき医師団」は、11月中旬からタクロバン市を拠点に無償の医療支援を行っている。支援を開始した直後は、手術中に一時停電することも数回あった。しかし今では発電機が修復され、停電もなくなったという。

 11月16日から現地で診療に当たってきた医師、ピエール・ダクルシーさん(32)は「テント、医療設備、薬品を運ぶのが困難だった時期と比べると、がれき撤去が進み、一部の病院が再開するなど状況は大きく改善した。とはいえ、被災前の体制までは戻っていない」と話す。公衆衛生が悪化しているとして、同団体は年内、医療支援を続ける。年明けに調査して撤退時期を決めるという。入院している被災者の中には、台風のトラウマ(心的外傷)からか、大雨や雷鳴でパニック状態になった人もいたという。

 国境なき医師団の拠点先病院には、台風後に熱湯を浴びて全身に大やけどを負った14歳の少年や、出産を終えたばかりの女性も入院していた。

 同市の南、タナワン町在住のシソン・オペニャーノさん(28)の家は台風で半壊した。近所の人に分けてもらった略奪品の食料を食べて生き延びたという。同町の医療施設から同医師団の活動先を紹介され、4日にアシェリーちゃんを出産した。

 オペニャーノさんは「美容師の夫が理髪で何とか現金収入を得ている。でもいつになったら壊れた家を修理できるかしら」と、不安げにアシェリーちゃんを見つめた。(鈴木貫太郎)

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